経済担当時代、県工業連合会のイベントや、古波津製造業育成基金の表彰式などでお会いした。「若い人が沖縄経済を考えていかないと」。何度となく説かれたことを思い出す

▼拓南製鐵の古波津清昇創業者が亡くなった。94歳だった。戦後の産業復興の第一人者で、「不毛の地」ともいわれた沖縄の製造業の振興に信念を傾けた。沖縄経済界のレジェンドに、当時から畏敬の念を抱いていた

▼80代半ばのお年で、足はやや弱っていたが、毎日出社しているとのことで、工場にもたびたび足を運ぶ仕事人間であった。「熱中するタイプ」といい、老いても陰ることない実直さに感じ入った

▼「拓鐵興琉」が会社理念である。産業の根幹をなす鉄で、豊かな生活をつくるとの思いがある。戦後の貧しい社会の改善に、ひたむきな努力と苦労を重ねた。当時から経済界をけん引してきた先輩方がかもす気迫やスケール感は、容易に身にまとえるものではない

▼琉歌が趣味で、育成基金を創った際に詠んだ歌が記事に残っている。〈何年までん ゆすぬ 頼らりんと 思うな わした島んちゅの いぢりみしら〉

▼経済的に自立し、沖縄人の意地、気概をみせようと、鼓舞する。離島県の産業振興が容易でないのは今も変わらない。諦めずに、創意工夫を。泉下から温かな激励が聞こえそうである。(宮城栄作)