大城あつこの第1句集『針突(はじち)』を一読して、まず驚かされるのは、若々しいことである。

「句集 針突(はじち)」(現代俳句協会発行・私家版)/おおしろ・あつこ(本名は大城敦子) 1944年鹿児島県・奄美大島生まれ。94年WAの会入会。2013年第4回「花でいご賞」受賞。現代俳句協会会員

 現在は、実年齢と関係なく若見えの人はごまんといるが、そんなことを言いたいのではない。俳句作品そのものが若いといいたいのである。それには彼女の俳句を見るに如くはない。

〈壜詰めの春愁ひとつもてあます〉

〈冬銀河踏み外したいこともある〉

〈狂うなら紫陽花群れる雨の中〉

 自分で自分をもてあましているあつこがいる。世間的なしがらみを脱ぎ捨てて、逸脱したいという願望を秘めているあつこがいる。激情ほとばしるあつこがいる。

 俳句作品から見える大城あつこの若々しさは、掛け値なしである。枯れてもいなければ、悟りすましてもいない。内部に飼いならすことのできない魔がいて、このことを指して若いといいたいのである。この若さは、多彩といっていい句法にもあらわれている。

〈ノックするドアを開ければ今日立夏〉

 ノックをする音にドアを開けると、新鮮な空気や風景が飛びこんできて、今日が立夏であることを告げる。訪れた客人が引き連れてきたかのような立夏。あつこには珍しい、挨拶(あいさつ)句としても読める。

〈島に来て風つくづくと秋だなあ〉

 島にやってきたら、一陣の風が頬や髪をなでた。その風が思いがけなくも今が秋であることを気づかせてくれた。その瞬間、都会での生活時間のわずらわしさを忘れさせてくれたのである。口語での語り口が絶妙だ。

〈ひまわりの芯の昏さに突きあたる〉

 ひまわりの豪華というか派手な花の芯にある「昏(くら)さ」に突きあたったのである。「暗さ」ではなく「昏さ」という措辞が手柄だ。この「昏さ」は同時に作者の生のありようをも表出していて、みごとにメタフィジカルな一句に転化している。(宮城正勝・ボーダーインク編集者)