1944年8月22日に米軍潜水艦の魚雷に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を悼む慰霊碑の除幕式が19日、建立された鹿児島県宇検村(奄美大島)の船越海岸で開かれる。式典に参加する対馬丸撃沈事件の生存者や遺族ら約25人は18日、犠牲者が漂着した海岸の一つ、大和村(同)の今里漁港で手を合わせた。

奄美大島に漂着した犠牲者を悼んで手を合わせ、米や水を供える生存者や遺族ら=18日、大和村の今里漁港

5人の遺体が埋葬された海岸で、犠牲者を悼み、手を合わせる遺族ら=18日、奄美大島大和村の今里漁港

奄美大島に漂着した犠牲者を悼んで手を合わせ、米や水を供える生存者や遺族ら=18日、大和村の今里漁港 5人の遺体が埋葬された海岸で、犠牲者を悼み、手を合わせる遺族ら=18日、奄美大島大和村の今里漁港

 同漁港の浜には、漂着した5人の遺体が「むかしばか」と呼ばれる場所に埋葬されていた。

 雨の中開かれた供養では、重箱やサーターアンダギー、ちんすこうなどをお供え。沖縄から持参した水や米を「喉が渇いていたでしょ」「たくさん食べて」と声を掛けながら、辺りにまいた。

 今里区内の別の海岸に漂着した上原清さん(82)=うるま市=は漁師らに救助され、集落で療養した。生死をさまよった当時は遺体の漂着を知らなかったと振り返り、「あの時できなかった分も手を合わせた。安らかに眠ってほしい」と犠牲者を悼んだ。

 供養には当時の埋葬に関わった区民らも参加。父親が消防団員で、埋葬の様子を見たという蘇畑ナツコさん(81)は「沖縄の人はいつかは遺骨を迎えに来る」と思いながら、埋葬地に花を供えていたと説明。「犠牲者たちが喜んで雨が降っているのではないか」と遺族らを励ました。