プロ野球オリックス時代の1990年にパ・リーグ打点王を獲得するなど活躍した石嶺和彦氏(56)=豊見城高出=が、昨年5月から社会人硬式野球エナジック(沖縄県名護市)の監督として采配を振るっている。自身初の監督業で、心掛けているのは選手一人一人に合った指導だ。「個々が力をつけて、初めてチーム力が上がる。都市対抗や日本選手権に出場するために、何をやらなければならないか日々考えていきたい」。2季目のシーズンに腕をまくる。(大門雅子)

打撃練習の選手にアドバイスをするエナジックの石嶺和彦監督(右)=名護市営球場(山城知佳子撮影)

 石嶺監督は豊見城高時代、故・栽弘義監督の下で強打の捕手として1977年春から4季連続で甲子園に出場した。卒業後、ドラフト2位で当時の阪急に入団。指名打者で頭角を現し、ブーマーらと迫力満点の「ブルーサンダー打線」を引っ張った。現役引退後は中日や韓国チームなどでコーチを務めた。

 エナジックの監督に就任したのは「沖縄に恩返しと言うほど大げさなものでなく、沖縄に戻って野球に携わってみたかった」からだ。社会人野球は初めてで「シーズン100試合以上あるプロと違い、各大会ごとの一発勝負。プロとは違う緊張感や面白さがある」とやりがいを感じている。

 選手たちは通常、午前中練習して午後に業務をこなし、仕事後に自主練習に取り組む。限られた時間の中で、石嶺監督は選手の動きを見ることに注力する。「選手は見られていると意識が違う。体の大きさや筋力の強さ、スイングの速さなど一緒ではない。各選手のスタイルに合った打ち方がある。説明して理解してもらうことが大事」

 主将の翁長佑次郎捕手(26)=沖縄大出=は「監督は夜間の自主トレにも付き合ってくれる。キャッチングの仕方など指示がシンプルで分かりやすい。打球も力強くなり、結果が出ているのでモチベーションが上がっている」という。

 チームの目標は、一度も出場経験がない都市対抗や日本選手権の切符をつかむこと。県外強豪チームに比べると小柄な選手が多いため、パワーを補うウエートトレーニングにも力を入れてきた。

 「まずは出場すること。やるからには高い意識を持って日ごろの練習を積み重ねていきたい。選手が来てくれるような魅力あるチームになれば」と石嶺監督。県民を沸かせた元スラッガーが、高校卒業以来37年ぶりに戻った沖縄で野球漬けの日々を送っている。

 いしみね・かずひこ 1961年1月10日生まれ。那覇市出身。神原小-神原中-豊見城高出。那覇カープで野球を始め、高校時代は強打の捕手で甲子園に4季連続出場。78年のドラフト2位で阪急(当時)入団。86年に56試合連続出塁の日本記録、87年に6試合連続本塁打をマーク。90年にパ・リーグ打点王。フリーエージェントで94年阪神移籍。96年現役引退。中日などのコーチを務め、2016年エナジック監督に就任。