道徳の教科書検定の滑稽な実態が、大きなニュースになっている。ある小学校中学年用の教科書では、学習指導要領の「高齢者に,尊敬と感謝の気持ちをもって接する」という項目に基づき、「しょうぼうだんのおじさん」を「おじいさん」に修正させられた。また、小学校低学年用の教科書では、学習指導要領の「郷土の文化や生活に親しみ、愛着をもつ」との項目に基づき、「パン屋」を「和菓子屋」に修正したという。

 なぜ、こんなことになってしまったのか。第一の原因は、権力側の人々が無神経に価値観を押し付け、かつ、社会の側もそれについて無警戒なことだろう。

 例えば東京都では、石原慎太郎都知事時代に、知事の呼びかけで、「こころの東京革命協会」なる団体が活動を始めた。その団体は、「自己中心主義の生き方がまん延し」「社会的責任よりも権利意識が優先するなど、社会における価値のバランスが崩れ」た「戦後の意識構造の歪み」が「子供たちの態度や行動に反映して」いると主張する。

 しかし、統計によれば、少年犯罪は、戦後一貫して減っており、そもそも実証的根拠が不明だ。また、憲法学の観点からは、「権利」より「責任」を優先させるべしとの価値観の押し付けを看過できない。個人が権利を主張するのはわがままではない。法律が定めた「あるべき社会」を実現するために不可欠な努力だ。個人が権利を主張しなくなれば、国民は主権者ではなく、国家の意のままになる道具に過ぎなくなるだろう。

 こうした「自分たちの価値観は正しいのだから、それを押し付けて良い」という空気は、道徳の教科化の流れにも感じられる。「パン屋より和菓子屋を愛する方が、正しい『郷土愛』だ」と「教科」として教育しようという感覚は、まさにそうした空気の産物としか言いようがない。

 第二の原因は、検証の仕組みの不備だ。教科書検定は、出版社からの検定申請を受け、文部科学省の職員である教科書調査官が、検定調査審議会に諮問し、それを踏まえて検定結果を大臣に答申する。この手続きの中で、誰がどのような根拠に基づき、何を求めたかに関する情報は、公開されていない。どの職員・委員の発言・判断に基づく修正意見なのかを、適切に公表し、検定の質を検証できるようにしなければ、検定は無責任なものになってしまう。

 第三の原因は、道徳の教科としての曖昧さだ。他の教科では、内容の正誤についての評価基準は比較的明確だ。例えば、漢字の書き順や掛け算九九の正誤は、客観的に認定できる。歴史の場合には微妙なこともあるが、「適切な史料で事実を確定すべき」との枠組みがある。それゆえ、沖縄戦の集団自決について、軍の関与に関する記述が削除されたとき、当時の証言などを根拠に批判の声を上げることができた。しかし、道徳では、「パン屋を和菓子屋に変えるべきだ」と強弁されたときに、何を根拠に反論すればよいのか不明だ。

 これほど問題のある制度の下では、道徳の教科書とは、権力者の考える道徳、権力者にとって都合の良い道徳の押し付けにしかならないだろう。私たちは、事態の深刻さに強い警戒が必要だ。(首都大学東京教授、憲法学者)

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