72年前の4月2日に「集団自決(強制集団死)」が起きた沖縄県読谷(よみたん)村波平のチビチリガマで1日、遺族会主催の慰霊祭があった。遺族や生き残った人ら20人以上が犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓った。参加者からは、沖縄への米軍基地押し付けや「共謀罪法」案の提案など「戦争ができる国」へと変わりつつある今の日本と「集団自決」の悲劇を招いた戦中・戦前の時代を重ね、危機感を訴える声が相次いだ。

ガマの中に設けられた祭壇に手を合わせ、犠牲者の冥福を祈る遺族の與那覇徳市さん(中央)ら=1日午後1時15分、読谷村波平・チビチリガマ

 母方の祖父母ら5人を亡くした遺族会の與那覇徳雄会長(62)は「生き残った人は『あの時、本当のことが分かっていれば』『うその教育を押しつけられなければ』と口々に叫んでいた」と指摘。「もう一度しっかり足元を見つめ、二度とチビチリガマの悲劇を起こさせてはいけない」と語った。

 1945年4月1日に読谷、嘉手納、北谷の本島西海岸に上陸した米軍は2日、チビチリガマ周辺に侵攻。ガマに避難していた住民約140人のうち21世帯、85人が亡くなった。

 戦後40年ほどたって遺族の一部が重い口を開き始めたが、つらい記憶をいまだに語ることができない当事者もいるという。この日は生後5カ月で遭遇したことを十数年前に知り、初めて慰霊祭に訪れた人もいた。

 読谷村職員労働組合青年部から4人が参加。村は「4月1日という日を忘れることなく歴史を後世に語り継いでいきましょう」と全域に防災無線で伝え、正午にサイレンを鳴らして黙とうを呼び掛けた。