物心ついた時分から、夫婦(めおと)漫才の代表格といえば、京唄子さんと鳳啓助さんの「唄子・啓助」のコンビだった。唄子さんの大きな口などをネタにしながら、勝ち気な唄子さんのツッコミと、啓助さんのボケとの呼吸が絶妙だった

▼唄子さんは戦前、京都市でチンドン屋を稼業とする両親の長女として生まれた。父の酒乱に苦しみながらの貧しい暮らし。学校では「チンドン屋の娘」といじめられた

▼職場の仲間と陸軍病院を慰問した時の芝居で主役を務め、喝采を受ける。自伝「花も嵐も踏みこえて」には「それはもう長屋の三畳間で父の乱暴にふるえ、チンドン屋の子とさげすまされた私ではありません」と当時の感動を記し、役者を目指すきっかけになった

▼京都の劇団に飛び込み、頭角を現したという。人気テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などで見せた存在感ある演技の裏には、舞台での下積みがあったのだと納得した

▼大衆演劇が下火になり、1956年、啓助さんと漫才コンビを結成。テレビにも活動の幅を広げ、テレビのトーク番組「唄子・啓助のおもろい夫婦」が高視聴率を記録した

▼唄子さんが6日、89歳で亡くなった。関西弁をまくしたてる役どころが多く、悲喜こもごものドラマや舞台で引きつけた。画面に出るだけで人情味が伝わるような芸人がまた一人消えた。(与那原良彦)