2017年(平成29年) 12月18日

社説

社説[自民県連辺野古容認]転換の説明責任果たせ

 自民党県連大会が8日、那覇市内のホテルで開かれ、辺野古移設を容認する方針を決定した。

 辺野古新基地建設を巡り、県連は2013年から「辺野古を含めたあらゆる選択肢を排除しない」を方針として打ち出していた。辺野古移設を認めつつ県外移設を否定しない立場だ。

 大会で決定した新しい政策には「普天間飛行場の危険性を除去するため、基地の機能移転並びに訓練の分散移転を図りつつ、辺野古移設を容認し、早期返還の実現を図る」と明記している。

 このタイミングで政策変更した背景には、違法確認訴訟の最高裁判決で県の敗訴が確定し、翁長雄志知事が承認取り消しを取り消し、現に辺野古で新基地建設工事が進んでいることがある。

 「あらゆる選択肢」を排除しない段階は、もう終わったとの認識なのであろう。結局、「辺野古が唯一」との方針を変えない政府の主張に合わせた格好だ。

 支持者の間から辺野古移設を認める一方で、県外移設を否定しない立場はあいまいだとの批判も出ていたという。

 剣が峰となる名護市長選、知事選を来年に控え、対立軸を鮮明にするための覚悟をもった転換だとの受け止め方もある。

 しかし、私たちの認識は異なっている。県連が当初の県外移設の方針を堅持し、「島ぐるみ」で反対を貫いていたのなら、現状は大きく変わっていたはずだ。

■    ■

 2009年の衆院選で民主党が大勝し、政権交代を果たした。県内でも「最低でも県外」を掲げた民主党に風が吹き、自民党は全敗した。このため県連も県民世論に応える形で県外移設に舵(かじ)を切った。10年7月の参院選、12年12月の衆院選、13年7月の参院選で県外移設を公約に掲げた。県外移設を放棄した今となっては選挙を有利に運ぶための手段だったとしか思えない。

 13年11月に県関係国会議員5人が党本部の圧力に屈し、公約に反し辺野古移設容認に転じた。その後、県連も「あらゆる選択肢を排除しない」と辺野古移設を容認した。

 なぜ、14年の知事選で10万票近い大差をつけられて敗北し、その後の衆院選でも自民党候補が全敗したのか。分析が大会の報告ではなかった。

 肝心の政策がころころと変わったことが政治不信を生み、選挙結果に表れたのは間違いない。方針転換に当たり、その説明責任が尽くされたとはいえない。

■    ■

 普天間飛行場の5年以内の運用停止の取り組みでも齟齬(そご)が生じている。安倍政権は前知事と「できることは何でもやる」と約束したが、今になって新基地建設が前提といい、県連も「全ては翁長知事の協力のなさから来る」と責任転嫁を図っている。

 当時の県側の実務責任者は新基地建設と運用停止の議論は「リンクさせないことが前提だった」と証言する。運用停止を求める県議会の意見書は自民を含む全会一致だ。

 県連は全会一致を県民総意として党本部に働き掛けるべきではないか。

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