儀間比呂志さんは2009年、人気ロックバンド「モンゴル800(モンパチ)」と詩画集「琉球愛歌」を共同制作した。ボーカルの上江洌清作さんによると、儀間さんはライブにも何度も足を運んでいたという。上江洌さんは「儀間さんの作品と人柄は今でも表現活動の強い支えになっている」と哀悼文を寄せた。全文を掲載する。

詩画集「琉球愛歌」出版で笑顔を見せる儀間比呂志さん(中央)とモンゴル800の上江洌清作さん(右)、高里悟さん=2009年

■「哀歌」じゃなく「愛歌」だから良いね

 儀間先生との出会いは3枚目のアルバム「百々」でした。儀間先生の版画作品を歌詞に合わせて、使用させていただくのをキッカケにお付き合いが始まりました。

 モンパチのアーティスト写真ならぬ、アーティスト版画の制作も快く引き受けてくださったりと、その後もお互いに連絡を取り合いつつ交流は続きました。

 僕らの活動に興味を持ってくれた儀間先生は、オールスタンディングのライブハウスにも何度も足を運んでくれました。

 ステージの照明やお客さんの楽しむ姿に特に反応していて、そのステージや照明の仕組みについて事細かく質問を投げかける先生。

 新しい事を吸収しようとする貪欲なエネルギーたるや、さらには70歳、80歳をこえてからパソコンとデジカメを使い始めたんだと、誇らしげに微笑(ほほえ)む先生の笑顔が今でも浮かんできます。

 「琉球愛歌」という詩画集を制作していた時に「哀歌」じゃなく「愛歌」だから良いね、そのまま詩画集のタイトルにしましょうと提案していただいた事。スタイルは違えど二十歳そこそこを過ぎた自分の書いた詩に共感してもらえた事、かけていただいた言葉、先生の作品と人柄に触れた経験は今でも自分の音楽活動、表現活動の中で強い支えになっています。

 微笑ましい生活の表現描写から、戦争、沖縄戦の悍(おぞ)ましさを包み隠さず描く先生の作品の持つ底知れぬエネルギー。今の沖縄に特に必要なのかもしれません。改めて作品を見直しながら、今は先生との思い出をゆっくり振り返りたいと思います。心より御冥福を御祈り申し上げます。MONGOL800 上江洌清作