■沖縄伝統古武道保存会総本部「文武館」 仲本政博氏(県無形文化財保持者)

42歳のころ。ヌンチャク術で中段構えをとる仲本政博氏(提供)

古武道への熱い思いを語る仲本政博氏=那覇市首里・沖縄伝統古武道保存会総本部「文武館」

弟子らと共に棒術の型を披露する仲本政博氏(手前)=那覇市首里・沖縄伝統古武道保存会総本部「文武館」

42歳のころ。ヌンチャク術で中段構えをとる仲本政博氏(提供) 古武道への熱い思いを語る仲本政博氏=那覇市首里・沖縄伝統古武道保存会総本部「文武館」 弟子らと共に棒術の型を披露する仲本政博氏(手前)=那覇市首里・沖縄伝統古武道保存会総本部「文武館」

 「古武道はわが人生。生涯かけて追い掛けているが、研究に終わりがない」。古武道で唯一の県指定無形文化財保持者に選ばれた仲本政博氏(79)は、毎朝3時には起きて、棒やヌンチャクなど8種類ある武器の使い方の研究や稽古に打ち込んでいる。衰退の危機にあった古武道の継承を決意し、24歳で大家・平信賢氏の門をたたいて55年。培った技と心を、那覇市首里鳥堀町の沖縄伝統古武道保存会総本部「文武館」で教えている。(運動部・當山学)

 母子家庭に育ち、生活は貧しかった。定時制の高校に通いながら米国民政府(USCAR)に就職した。空手は20歳から父の友人だった小林流の知花朝信氏に師事したが、古武道とは無縁だった。

 転機は24歳の時。「空手は残るが、古武道は滅びる。空手だけでなく古武道もやりなさい」と職場の上司だった民政官のシャノン・マキューン氏。国連教育科学文化機関(ユネスコ)で文化遺産を登録する部署にも働いていた経験がある同氏に言われた。この時、「天命を自覚した」。

 平氏に入門を何度も断られたが、寒い冬の夜、家の前で「入門するまで帰らない」と懇願し、やっと許された。初めて見る古武道の世界は「たくさんの武器があって興味津々だった」。

 同じところを何度も直されて悩みながらも、充実の日々を送った。「古武道をやることで、武器の長所や欠点が分かるようになって、空手にも深みが出る」。空手と並行して習い1970年に古武道師範の資格を取得。平氏の道場の支部を任され、82年に独立した。

 昔、ある空手の大家の胸板を試しに棒で突いてみる機会があったが、あっけなく倒してしまった。「みぞおちだったら危なかったと思う。その後、その先生が弟子たちに『みんな古武道を習いに行け』と言ってくれた。古武道は空手界からねたまれることもあるけど、こんな謙虚な人もいた」と、互いに認め合えた経験を懐かしむ。

 実際に相手に大けがを負わせるわけにはいかないため、棒などでは脚を狙うことが多いという。「だから、自分も脚を鍛える」。道場に来ていた外国人の門下生の前で、すねを鉄のハンマーでゴンゴンとたたいてみせ、驚かせた。

 過去を語る時、「ラッキーなことに」という言葉をよく発した。知花氏や平氏のほか何人にも師事。古武道の源流を訪ねて中国に国費留学し、沖縄では衰退していた寝技を人間国宝から習得した。多くの師に恵まれ、沖縄の古武道をまとめ上げた。「若い時の大物との出会いが人生を変えた」と、感謝を忘れない。

 「平先生も知花先生も、達人たちはみんな穏やかで優しい性格だった」と話す仲本氏。自身も弟子たちに同じように接している。

 現在、道場には約60人が在籍している。教え子は外国を合わせて45年間で約3千人に上る。「今は空手の先生方も、古武道に対して高い意識を持ってくれるようになった。車の両輪としてスムーズに回っていくようになれば」と、空手・古武道の理想形を思い描く。

 【プロフィール】なかもと・まさひろ 1938年1月15日生まれ。那覇市首里出身。20歳で首里手の大家、知花朝信氏に師事。24歳で平信賢氏のもと古武道を始める。1982年、沖縄伝統古武道保存会を発足。2013年に県指定無形文化財「沖縄の空手・古武術」保持者に認定される。