「岡本太郎ではないよ、平良太郎ですよ」。八十の手習いで絵を描き始めた平良太郎さん(89)。先日開かれた沖縄県名護市大東区総合文化祭に「屋我地大橋」や「辺戸岬」「赤かわら家」を出展。地域では「てぃーぐまー(手先が器用)おじー」と一目置かれている存在だ。「自己流だよ。写真を撮って、上からなぞるだけだから」と余裕の笑顔をのぞかせる。

「辺戸岬」の絵画を手にする平良太郎さん=名護市・大東区公民館

 16歳で同級生3人と大阪に渡り、軍需工場で働いた。「主に鋳物を扱っていた。20歳の時、徴兵検査に合格し、和歌山県の63連隊へ配属になった」。沖縄戦が始まり、宮崎県の本土防衛隊へ配属になったが「あの時、沖縄に戻れなかったことが幸いだったかもしれない。命は助かったからね」と振り返る。

 21歳で屋我地出身のヒデ子さんと結婚。鋳物職人として生計を立てた。「羽地山に墜落した敵機のプロペラを担いできて、マカイ(茶わん)やアイロンを作った。鉄かぶとで羽地の土を採掘して鋳型を作り、ジュラルミンのプロペラを砕いて流し込んだ」と語る。

 アイロンは名護市内の服装学院から追加注文が相次ぎ、「1台作るのに2~3日かかるのに、知らない人は『早く持ってこい』とうるさかったな」と笑う。「岡本太郎は太陽の塔を造ったが、平良太郎は屋我地大橋と辺戸岬、赤かわらを描いたよ」とちゃめっ気たっぷりに話した。(玉城学通信員)