2017年(平成29年) 12月11日

沖縄空手

祖の技、世界に伝承 「拳禅一如」の精神常に【道場めぐり・4】

■国際沖縄剛柔流空手道連盟総本部・東恩納空手道場 東恩納盛男氏(県無形文化財保持者)

19歳のころ、鍛錬する東恩納盛男氏(提供)

「稽古を重ねて技を磨くことが大切」と話す東恩納盛男氏=12日、那覇市牧志の国際沖縄剛柔流空手道連盟総本部・東恩納空手道場

三戦(サンチン)の指導に当たる東恩納盛男氏(右)=那覇市牧志の国際沖縄剛柔流空手道連盟総本部・東恩納空手道場

19歳のころ、鍛錬する東恩納盛男氏(提供) 「稽古を重ねて技を磨くことが大切」と話す東恩納盛男氏=12日、那覇市牧志の国際沖縄剛柔流空手道連盟総本部・東恩納空手道場 三戦(サンチン)の指導に当たる東恩納盛男氏(右)=那覇市牧志の国際沖縄剛柔流空手道連盟総本部・東恩納空手道場

 剛柔流最高師範で県指定無形文化財保持者の東恩納盛男氏(78)は、毎月旧暦1日と15日、那覇市牧志の国際沖縄剛柔流空手道連盟総本部の東恩納空手道場でお茶と線香を供える。手を合わせる先には「拳禅一如(けんぜんいちにょ)(空手と禅は同じ)」の書と流祖・宮城長順氏らの写真。「空手も禅も言葉では教えきれない。だから、型を崩しては駄目。型には先人の知恵が詰まっているからね」。17歳で空手を始め、国内外で指導し半世紀。今も流祖の技を思い浮かべ、道場に立つ。(政経部・平島夏実)

 那覇市牧志生まれ。人前で話すのも、本を読むのも、女の子と手をつなぐダンスも嫌い。学校へ通うふりをしては波之上で泳いだ。そんな東恩納氏を、父の盛一さんはある日、那覇劇場の空手演武大会へ連れて行った。息を詰めて演武を見つめる父。「今思えば、僕に空手をさせたかったんじゃないかな」。

 先輩に勧められて17歳で道場に入門し、やっと好きなことを見つけた喜びからのめりこんだ。師である宮城安一氏(1931~2009年)は広背筋や三頭筋など、型ごとに使い分ける筋肉が違うことを触って教えた。突きのこつはねじりだと説き、「鉄砲の筒の中はらせん状。だから弾に力がこもる」と論理的に説明した。

 鍛錬は指先にも及び、伸ばした指を砂や砂利に向かって突かせた。厳しい指導で、東恩納氏の爪は指先をかばうように曲がった。

 空手との出合いをつくってくれた父が病死すると、母トシさんは平和通りで野菜や果物を売って家計を支えた。師の安一氏は月謝を取らなくなった。

 「まさか自分が空手で生きるとは思っていなかった。まず、両親に感謝。そして先生、生徒に感謝です」。3年間の皆勤賞として道場からもらった帯は、ほつれた部分に何度も当て布をし、大切にしている。

 弟子は世界60カ国に20万人。空手が今、礼を重んじる伝統文化として見直されたと感じている。これまでに東京渋谷区の代々木道場で約20年間教え、1980年代から15年間住んだ米サンディエゴでは「IOGKF(国際沖縄剛柔流空手道連盟)本部」を開設。ロシアのクレムリン宮殿で警備隊に指導したこともある。

 米アーカンソー州で91年、全米空手道選手権大会の日が「モリオ・ヒガオンナ・デー」と名付けられたことには心底驚いたという。鍛錬を積んで60年以上になるが、「どんな型もやればやるほど難しくて、僕は不得手」と謙遜する。

 「宮城安一先生は、流祖の体の動きを『ぬーんどぅんでぃん言ららんたんどーやー(何とも言葉にできなかったよ)』と語っていた。僕が思うにそれは、美につながる芸術だった」。何度も拳を打ち付けるうち削れてしまった道場の柱に、今日も向き合う。

 【プロフィール】ひがおんな・もりお 1938年12月25日、那覇市牧志で生まれる。17歳で剛柔流流祖、宮城長順氏の道場に入り、67年に師範免状を授与される。79年、国際沖縄剛柔流空手道連盟を結成。2012年に県文化功労賞、13年に県指定無形文化財「沖縄の空手・古武術」保持者の認定を受ける。

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