雨と太陽。名護市は14日、強いコントラストに彩られていた。瀬嵩の砂浜では「基地のない沖縄」を求める集会。新基地建設が予定される辺野古のキャンプ・シュワブでは基地開放が人を集めた

▼神奈川県から集会に参加した女性(68)がたまたま同年生まれの名護市の男性(67)に会い、尋ねていた。「復帰して良かったのでしょうか」。男性は米兵の事件事故が裁かれるようになっただけ良かったと答え、こうも言った。「県民は血の涙を流してきた。もうこれからは泣かない。基地を撤去したい」

▼シュワブでも、同じ質問をしてみた。復帰っ子の女性(44)は「基地が減り、経済が発展したから良かった」。10代の男子学生5人は「米国のままなら、中国がちょっかいを出さなかったかも」

▼答えはさまざまでも、一つ確かなことがある。「日本で良かったのか」という問いは、米軍占領下に放り出された沖縄だから成り立つ。日本であることがほぼ自明な本土とは違う

▼5月15日という復帰の日自体、翻弄(ほんろう)されてきた歴史を象徴している。日本政府の4月1日、米政府の7月1日という二つの主張の間を取って決まった

▼それから45年。両政府の都合で日本にされたり米国にされたりしてきた沖縄からは、両国が客観的に見える。どちらも、明暗で言うと軍事の暗い色が目立っている。(阿部岳)