梅雨の合間を縫って、首里城公園の北城郭東地区に出掛けた。3月末から無料開放されている新しい区画だ。その一角に「留魂壕」がある

▼中に入れないように設けられた柵にもたれ中をうかがう。入り口の天井部分からは、静かにしずくが落ちていた。沖縄戦で米軍が首里城に迫る中、「沖縄新報」という新聞が、壕内で印刷されていたことを知る人は少ない

▼楽しげに記念撮影をする観光客の声を聴き、心地よい風を受けながら、72年前の5月、同じ場所で死の気配を感じながら駆けずり回っていた先輩記者の話を思い出した

▼「本当は私も戦犯の1人だと思う。私の記事を信じ、命を落とした人たちがいるのではないか」。同紙の日本軍司令部担当記者で、戦後に沖縄タイムス社を創業したメンバーの1人でもある故牧港篤三さんはそう語った

▼記者たちが壕を捨て島尻方面へ避難する前に、壕の近くに埋めた新聞活字は掘り出され、県立埋蔵文化財センターに保管されている。その中の「戰」「斬」という活字は約1センチ四方の見出し用。この活字を使った記事は何を伝え、何を隠蔽(いんぺい)していたのだろうか

▼「当時は記事で戦争に加担していた。君たちに、あんな体験はしてほしくない」。牧港さんは何度も繰り返した。きな臭さが漂う今の時代を予見していたかのように。(玉城淳)