本紙が19日紙面に掲載した1945~46年ごろのハワイオアフ島で、県出身の捕虜が納められた写真のうち2人の身元が分かった。山本勇さん(69)=宜野湾市我如古=の父・朝保さん(享年84)と、與那原淳さん(78)=同市愛知=の父・清さん(享年45)。勇さんは、13年前に亡くなった父の若かりし頃の写真に見入り、「おやじが生きている間に見せて、撮影した人と当時の話をしてもらいたかったな」と語った。

山本朝保さんの写真を見て、特徴をなつかしそうに話す長男の勇さん=27日午前、宜野湾市我如古の山本さん宅

県人捕虜とみられる男性と並んで写る山本朝保さん=1945~46年ごろ、ハワイ州オアフ島(大城文江さん撮影、ハワイ捕虜沖縄出身戦没者慰霊祭実行委員会提供)

捕虜を意味する「PW」と書かれたズボンをはく與那原清さん=1945~46年ごろ、ハワイ州オアフ島(大城文江さん撮影、ハワイ捕虜沖縄出身戦没者慰霊祭実行委員会提供)

與那原清さんの思い出を語る長男の淳さん=27日午前、宜野湾市愛知の與那原さん宅

山本朝保さんの写真を見て、特徴をなつかしそうに話す長男の勇さん=27日午前、宜野湾市我如古の山本さん宅 県人捕虜とみられる男性と並んで写る山本朝保さん=1945~46年ごろ、ハワイ州オアフ島(大城文江さん撮影、ハワイ捕虜沖縄出身戦没者慰霊祭実行委員会提供) 捕虜を意味する「PW」と書かれたズボンをはく與那原清さん=1945~46年ごろ、ハワイ州オアフ島(大城文江さん撮影、ハワイ捕虜沖縄出身戦没者慰霊祭実行委員会提供) 與那原清さんの思い出を語る長男の淳さん=27日午前、宜野湾市愛知の與那原さん宅

 朝保さんは宜野湾市我如古出身。沖縄戦で防衛隊に召集された後、捕虜となりハワイに送られた。

 「このなで肩はおやじ。すぐに分かった」。捕虜時代をとらえた唯一の写真。勇さんが写真のコピーを我如古老人クラブの仲間に見せると、みな「朝保やっさ」と懐かしんだという。

 朝保さんは当時のことは多くは語らなかったが、移民した県系人に誘われ、収容所外に出たエピソードなどを話していたという。勇さんは2002年に父と共にハワイを訪れた。建設に関わったという陸軍病院などを回った。

 與那原淳さんも新聞を見てすぐに父・清さんと気付いた。捕虜を意味する「PW」(Prisoner of Warの略)と書かれたズボンをはいた姿に、淳さんは「角張った顔と、なで肩ですね。すぐに分かりよった」と言う。

 清さんは平安座島出身。宜野座村松田で防衛隊に取られ、糸満市摩文仁付近の海で、サバニをこいでいたところ米軍の捕虜となった。父の6歳上の姉がハワイに“花嫁移民”しており、現地で会ったという話を聞いたことがある。

 沖縄に戻った後1949年に亡くなったため、淳さんは多くは聞かされていない。「捕虜のことは知っていたけど、まさか写真が残っているとは」と驚いた様子だった。

 写真はハワイ在住で、両親が北中城村出身の県系2世大城文江さん(90)が撮影。6月4日にハワイで開かれる「ハワイ捕虜沖縄出身戦没者慰霊祭」の実行委員会に、県系女性との記念撮影など計6枚を提供した。