セピア色をした1935(昭和10)年の写真群は、そのわずか10年後に沖縄戦で破壊し尽くされ、消えてしまった「ふるさとの面影」をたたえている。豊かな漁村、近代的な製糖集落、華やぎと活気に満ちた市場や商店街のにぎわい、琉球国造り神話の島…。82年前の写真群が、かつての沖縄の姿をよみがえらせる。写真はすべて朝日新聞社提供。写真説明は沖縄タイムスの取材による。
戦前写真 数百枚は貴重
沖縄戦以前に撮影された沖縄の写真は、1853年にペリー艦隊が琉球の民衆を撮影して以降、カメラを持参した外国人や鹿児島の寄留商人ら、外来者によって撮影された写真が最も古いとされる。
1800年代末以降になると、那覇市内に写真館ができ、守礼門や波之上など、沖縄らしい風光明媚(めいび)な建物や自然の風景を絵はがきにあしらった写真が広く撮影された。鳥居龍蔵、鎌倉芳太郎、日本民芸協会の関係者ら、主に知識人や文化人による調査で、文化財や建築物、祭祀(さいし)や民俗などの写真群が多く撮影されている。
写真技術は大正から昭和期に沖縄でも次第に一般化した。だが45年の沖縄戦によって、多くの人命と共に戦前撮影の写真をはじめとする多くの資料が消失。
戦前の画像資料は、県内より県外で確認されることが多くなった。当時は機材も高価だったため、個人で少数の写真を保管していることがあるが、数百枚の規模で戦前の沖縄の写真が確認されるのは珍しい。
撮影年特定 写真に価値(那覇市歴史博物館学芸員 外間政明氏)
写真のプロが戦前の沖縄の取材に基づいて撮った多くの写真がよく残っていたと思う。戦前の写真は撮影時期が不明なものも多いが、1935年の沖縄とはっきり分かることも、写真の価値を高めている。
明治40年代ごろから、全国的に絵はがきのため日本各地の風光明媚(めいび)な場所などが写真撮影されるようになった。今回は観光用の沖縄の風景や個人撮影の記念写真などとは異なり、農業や漁業や市場などの人々の暮らしや生活を撮っている視点が特徴的だと感じる。
21(大正10)年以降に大型船が沖縄を発着するようになった。37(昭和12)年には大阪商船がパッケージツアーを売り出し、団体の観光客を受け入れるようになる。戦時色が強まると船は軍用にされるが、確認された写真からは戦争の影はまだ感じられない。
当時の社会情勢分かる(沖縄国際大学教授 吉浜忍氏)
沖縄戦に向かう社会情勢を知る上で貴重な資料だ。写真が撮影された1935年は満州事変(31年)後、日中戦争(37年~)前で、沖縄も含めて日本が総力戦体制に向かう状況。ソテツ地獄(30年初頭)が尾を引き、世界的な不況で日本全体も経済的に疲弊している時期でもある。沖縄戦の前に、国民徴用令が施行(39年)され、人的、物的資源がすべて戦争に向かっていく前段階にある。
沖縄の農村、漁村、山村も含めて疲弊した状況ながら頑張っている姿が紹介されており、模範的な姿として描きたいという意図があったのではないか。背後に戦時の総力戦体制に向かう社会的な雰囲気を感じる。
当時の資料は数が少なく、懐かしい風景がまとめて確認されたのは貴重だが、どのような意図で撮影され、受け入れられていたのかも踏まえる必要がある。