【解説】本土の沖縄観を探る一助
1935(昭和10)年撮影の沖縄写真群の歴史的意義は、本土から訪れた取材陣の沖縄観を探ることができる点にある。
大正期の首里城の写真など鎌倉芳太郎資料の国重要文化財指定に携わった写真史家、金子隆一さん(元東京都写真美術館専門調査員)は沖縄写真群を「沖縄を写した、ごく初期の報道写真」と位置付ける。
金子さんによると、近年の日本の写真史研究では、写真だけでなく撮影時の社会情勢まで踏み込んで考える傾向にあり、戦前の報道写真研究は重要さを増している。一方で、沖縄にあった写真は沖縄戦で大半が焼け、現在その研究は手つかずに近い。
35年は委任統治領だった南洋群島開発十カ年計画発表などがあった年。沖縄経済が極度に疲弊した「ソテツ地獄」救済のため32年に県振興計画が閣議決定された後で、38年の国家総動員法制定前に当たる。時代と写真群を一緒に考えることで、沖縄国際大学の吉浜忍教授(沖縄近現代史)は「メディアの報道が戦時色をどう強めていったか、時代の流れが見える」と語る。
本土から訪れた取材陣は沖縄をどう描こうとしたのか。ノスタルジーだけでなく、その視線を読み取ることができるのが、この写真の重要な価値といえる。(「1935沖縄」取材班・堀川幸太郎)
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