<div class="caption">参院選公示前に那覇市内でトークイベントを開いた中村之菊さん=6月18日</div>
参院選公示前に那覇市内でトークイベントを開いた中村之菊さん=6月18日
全ての写真を見る 3

「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る党」参院選に立候補 右翼団体にいた女性が訴える理由

2022年8月16日 9:11
米軍基地・安保

 7月の参院選で、沖縄の米軍基地を東京に引き取ることを公約に掲げた候補者がいた。東京選挙区から立候補した中村之菊さん(43)だ。今、同じ公約を掲げる候補者を全国から送り出そうとしている。(社会部・棚橋咲月)

参院選公示前に那覇市内でトークイベントを開いた中村之菊さん=6月18日
参院選公示前に那覇市内でトークイベントを開いた中村之菊さん=6月18日

 参院選公示日の6月22日、中村さんは首相官邸前に1人立っていた。「沖縄は基地の中にあると言っていいくらいフェンスだらけ。この状況を放っておいていいのでしょうか」。目の前を人々が行き交い、通り過ぎていく。「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る党」代表として選挙期間中、都内各地を回った。

 東京都出身。千葉県に住む大工だ。高校を中退し、18歳で右翼団体に入った。

沖縄との接点はその翌年、東京で出会った沖縄出身の友人にある。同い年のその女性から「東京と沖縄の戦後って違うよね」と言われ、面食らった。女性が語った住民を巻き込んだ地上戦とその後の米軍統治は、長く心に残ることになった。

 組織内外で訴えてきたことに、自主独立がある。主権を回復した日本に米軍の基地が存在するのは矛盾に映った。米軍基地負担が集中する沖縄はその最たるものだった。

 なのに、日米安保反対を訴えていた組織の先輩は年月を経て安保が前提の考えを口にするようになっていた。組織での活動に葛藤が生まれた。

街頭に立つ中村之菊さん(右)=フェイスブックから
街頭に立つ中村之菊さん(右)=フェイスブックから

 2016年、沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終わったとされる6月23日の慰霊の日に合わせて沖縄へ飛んだ。新基地建設計画が進む名護市辺野古にも行った。「お前は左翼なのか」。先輩から詰問され、同じ年には除名処分を受けた。それから年に3分の1は沖縄へ通い、東村高江の米軍北部訓練場ゲート前に立ち、基地内の人たちに向かって基地反対を語りかけた。

 参院選立候補もこうした活動の延長線上にある。辺野古新基地建設計画が争点となった今年1月の名護市長選では、新基地建設反対の候補が、賛否を表明しない自公推薦の現職に敗れた。結果を受けてツイッターに「がんばりましょう」と投稿した野党の国会議員がいた。地盤はかつて米海兵隊が駐留した大阪。基地と隣り合わせの生活があったのに、人ごとのような投稿だった。「基地を押し付けている側が頑張れというのはおかしい」

取材に応じる中村之菊さん
取材に応じる中村之菊さん

 沖縄から基地反対を訴えても基地は動かず、全国の関心は集まらない。ならば政治の中心である東京に基地を引き取り、問題を再び可視化することで議論を喚起してはどうか。移設の具体案として見つけたのが、民間シンクタンク・産業計画会議が1959年にまとめた「ネオ・トウキョウ・プラン」。東京湾を埋め立てて巨大な人工島を建設し、陸側と道路や鉄道で結ぶ計画だった。

 反応は悪かった。有権者1145万人、投票率56・55%で獲得したのは3043票。候補者34人で下から2番目だった。「とにかく沖縄のことを考えるんだと言ってくれた人がこれだけいるのは希望だと思います」と振り返る。

 公約に共鳴する候補を国政選で全国から送り出そうと今、各地と連絡を取る。本土が沖縄に基地を集中させる構図に、本土でこそ声を上げる意味がある、と考える。都知事選も、次の参院選も立候補すると決めている。

全ての写真を見る 3

【あわせて読みたい】

私たちの声を政治に届ける大切な手段の一つが、選挙です。でも、その仕組みやルールは多岐にわたり、実はよく分からないという人も少なくないはず。そんな選挙にまつわる疑問や「そもそも」に答えます。

関連ニュース

ユーチューバー、九州の街で問う「あなたの街に普天間飛行場を」 賛成17票、反対35票

いらだつ“超保守的”弁護士「美しい国などと、どの口が…」 辺野古の土砂投入へ反対 本土の弁護士会にも働きかけ

「喉元を過ぎれば熱さ忘れる」 知事も反対を貫いた新潟の“県ぐるみ”闘争 政府が折れ、米軍は去ったが…