サバニが並ぶ砂の道を布をかぶった4人の人がはだしで歩いている。奥には海が見える。道端にしゃがみ込んだ少女の1人はその様子を、もう1人はカメラを見詰めている。
上原喜久江さん(83)=糸満市糸満=も3、4歳のころ、近所で着物をかぶった女性の列を見かけた。「何かな、としゃがみ込んで下から顔を見ると、泣いている。大人でも泣くんだ、と思った」
バサージン(芭蕉布の着物。旧糸満町地域ではバサーギン)をかぶった「泣き女」は葬儀のときに現れた。1940年に糸満を訪れた写真家、坂本万七(1900~74年)の写真にも亡骸(なきがら)を納め、男性が運ぶ棺「龕(がん)」に続いて歩く泣き女や親族らの姿が写っている。
金城健さん(84)=同=は泣く様子を「家の門を出ると泣きやみ、墓が近づくとしくしく泣き始め、わーんわーんと大声になる」と思い起こす。
大人の泣き女に交じって葬列に加わったのを覚えているのは玉城チヨさん(91)=同。「女の子も帽子みたいなものをかぶって一緒に歩いた」と証言する。同じく後を付いた経験があるという宮城夏枝さん(88)=同=は「10歳から十四、五歳ごろまで、白いとんがり帽子のようなものをかぶって付いていった」と話す。
戦後、徐々に見かけなくなった「泣き女」だが、金城さんは「着物をかぶる代わりに晴れていても傘を差し、泣くお年寄りは今でもいる」と話した。(「1935沖縄」取材班・堀川幸太郎)
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