来月7月は県産品奨励月間。実行委員会が募集した本年度のスローガンは「すぐりむん 暮らしにキラリ 県産品」に決まった。施政権返還前、県内産は、質の悪さの意も込め、しまくとぅばで「しまーぐゎー」と呼ばれた。近年のしまくとぅば復興で、奨励月間のスローガンや商品名にしまくとぅばが定着。今やしまくとぅばは、県産品への愛着や沖縄らしさ、「すぐりむん」として質の良さを表現する言葉になった。(政経部・比嘉桃乃)

しまくとぅばの名付けがユニークなオキネシアの商品と金城幸隆社長=那覇市首里のアンテナショップ「島涼み」

ジープによるパレードや立て看板で島産品愛用を訴えた=1960年、石垣市(県工業連合会提供)

しまくとぅばの名付けがユニークなオキネシアの商品と金城幸隆社長=那覇市首里のアンテナショップ「島涼み」 ジープによるパレードや立て看板で島産品愛用を訴えた=1960年、石垣市(県工業連合会提供)

 「県産品=すぐりむん」への道のりは長かった。県産品奨励運動の前身、「島産品愛用運動」は1954年に始まった。背景には52年ごろ、貿易自由化で本土から大量の製品が輸入されたことにある。戦後、島内で生産、流通した飲食品や衣料品、農業用具。「代用品」と親しまれ、庶民の暮らしを支えてきたが、本土産に太刀打ちできなくなった。

 本土輸入品に対抗するには、企業の設備改善が急務。だが米軍施政権下で、機械や建築資材の調達はままならず、沖縄の企業は窮地に立たされた。そこで、考え出されたのが、「島産品愛用運動」だ。

 当時、沖縄で生産された商品は「しまーぐゎー(島産品)」と呼ばれた。品質が悪いという意味も込められていた。那覇市のエッセイスト、宮里千里さん(67)は「愛称みたいなもの。必ずしも本土に対する劣等感という意味で使われたものではない」。ボーダーインク編集者の新城和博さん(54)は「地元で作られる物への誇りはあったが、『舶来品が良く見える』という先入観があったのでは」と推量する。

 60年代になると施政権返還運動が盛んになる。復帰の願いを込めた「沖縄県」が各分野で使われ始めた。愛用運動も1969年から「県産品愛用運動」と名称を改めた。

 2000年代に入ると、沖縄サミットやドラマ「ちゅらさん」をきっかけに沖縄に注目が集まった。ゴーヤーなど数々の県産品の魅力が全国でも認知され始めた。

 奨励月間の実行委員を務める県工業連合会の小浜徹企画・業務部長(50)は「品質の良さをアピールするためにしまくとぅばを使う風潮が高まっている」とした。

 「ぴりんぱらん」「nantiti(なんちち)」、サンゴを意味する「URU(ウル)」。しまくとぅば名の商品が人気のオキネシア(那覇市、金城幸隆社長)。創業以来、県産素材の菓子や化粧品の名にしまくとぅばを採用してきた。

 金城社長(57)は、しまくとぅばを話せない世代。「沖縄、そして琉球の文化を少しでも伝えるために、自分が手掛ける商品には沖縄のアイデンティティーを反映させたかった」と話す。

 県内だけでなく、県外の高級スーパーにも商品を卸す。「商品をきっかけに、言葉の意味や当時の沖縄の背景などを知ってもらえたら。ささやかだけど文化の種まきになれば」と期待する。