朝日新聞大阪本社で見つかった1935(昭和10)年の沖縄の写真群のうち、現在の沖縄市古謝で撮影された少年の遺族が本紙取材班の調べで11日までに見つかった。サトウキビ畑で無邪気な笑顔を浮かべるのは、当時7歳で昨年5月に亡くなった儀間政夫さん(享年88)。ブラジルで生まれ、沖縄で苦労しながら生きた父に“再会”した次女の森根かおりさん(46)=うるま市=は「生きている間に見せたかった。父が一番喜んでいる」と目を潤ませた。(「1935沖縄」取材班・比嘉太一)
◆ブラジルから沖縄へ
写真説明にあった「古謝の『模範部落』のサトウキビ畑で遊ぶ智念正夫君(原文のまま)」を手掛かりに、取材班が昨年12月から地域の関係者を訪ねた。
森根さんによると、儀間さんは1928(同3)年にブラジル・サンパウロでコーヒー農園を営むイタリア系の父エンカルナシオン・マルテーナさんとポルトガル系の母ヘミニーナさんの間に生まれた。
母は出産直後に死亡。父1人で養育できなくなり、古謝出身の移民だった知念夫妻に引き取られ、6歳のころ沖縄に連れてこられた。その後、儀間幸信さんの養子となり、儀間姓になった。
◆負けん気が強く
とにかく負けず嫌いの性格だったという。
儀間さんの目の色が青く、彫りが深かったため、周囲からは「ヒージャーミー(ヤギの目)」「ハナマギー(鼻が大きい)」とからかわれることも多々あったという。そのため、小学3年生のころには学校に行くのをやめて、畑仕事を手伝っていた。
森根さんは「誰よりも負けん気が強かったのは幼少期にからかわれた経験があったから」とおもんぱかった。笑顔の写真を見つめて「父からは少年時代、人に会うよりも一人で畑仕事をしていた方が楽しかったとよく聞かされていた。この写真がそれを裏付けている」と懐かしんだ。
◆写真探していた
儀間さんは戦後、米軍基地従業員やタクシー運転手として働き、36歳で夢だった漁師になった。「青い目の海人」として雑誌やテレビに取り上げられ、80年10月21日付の本紙にも人柄が紹介されている。
昨年5月22日、老衰で亡くなる前日まで海へ繰り出し漁をしていた。
晩年は、沖縄で生きた証しを残したいと幼少期の写真を探し回っていたという。
森根さんは「遠い国から連れてこられ、見知らぬ土地で育ち、財産や家族を築いた父が誇り」と語り、「父の幼少期に出会えて胸が熱くなる。父に写真をぜひ見せたかった」と涙を拭った。