糸満市糸満の中心部、標高約20メートルの丘、山巓毛(さんてぃんもう)から南西方面を見た1935年の眺望。奥の島影は市名城の拝所・エージナ島。手前には赤瓦の建物が軒を連ねているが沖縄戦で破壊され、戦後は糸満ロータリーになった
糸満市糸満の中心部、標高約20メートルの丘、山巓毛(さんてぃんもう)から南西方面を見た1935年の眺望。奥の島影は市名城の拝所・エージナ島。手前には赤瓦の建物が軒を連ねているが沖縄戦で破壊され、戦後は糸満ロータリーになった
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【糸満の家並み(下)】焼けた故郷 思う校歌

2017年6月16日 12:12
文化・芸能

 ことし、創立134年の糸満小学校の校歌は

 「大洋の波 いそを打つ

 ときわの島の 南端に 

赤きいらかを つらねたる

 しんこうのまち わが故郷」

 という歌詞の1番で始まる。

 朝日新聞大阪本社で見つかった写真群が撮影された前年、1934年発行の同校「創立五十周年記念誌」に掲載され、今も歌い継がれる。

 歌詞で出てくる「南端」に当たる風景が糸満市中心部、標高約20メートルの山巓毛(さんてぃんもう)から南西、同市名城のエージナ島を望む写真の眺望だ。

 宮城夏枝さん(88)=同市糸満=の赤瓦ぶきの実家もこの地域の一角にあり、母が菓子店を営んでいた。日が暮れると家の前の幅4、5メートルの道に街灯がともった。

 写真には立派な2階建ての建物や電柱なども写っている。

 「晩ご飯の後、多い時は20人くらいの子どもが集まった。母が翌日の準備を終える午後10時ごろまで遊んだ」と思い出す。幼少期を過ごしたその町は、10年後の沖縄戦で破壊されたが、歌詞の中にその情景が残っている。

 宮城さんは「(今は大人になった)孫が糸満小に入った時は、お風呂で一緒に歌っていた」と笑顔を浮かべ、「赤きいらかを つらねたる~」と校歌を口ずさんだ。古里の面影は、心の中に鮮明に焼き付いている。(「1935沖縄」取材班、堀川幸太郎)

 掲載写真について、情報をお寄せください。電話098(860)3553、メールはokinawa1935@okinawatimes.co.jp

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