大阪朝日新聞の1935年当時のメモで「西洋風の建物」と説明されている1枚は旧糸満警察署を写したものだ。
金城健さん(84)=糸満市糸満=には、ほろ苦い思い出がある。
39年、日中関係の悪化を受け、近代的な建築が並ぶシンガポールから両親の故郷、旧糸満町に戻った。実家はかやぶきで「みすぼらしく思えて、嫌だとぐずった。近所の糸満署に住むと言い張って親を困らせた」と笑う。
幼い子どもの目に立派に映った旧糸満署は、県警の資料によると30年にできた「鉄筋コンクリート及び木造瓦ぶき2階建て」だった。
「実際は木造は平屋だった」と金城光栄さん(88)=同=は証言する。光栄さんは戦前、署の近くの丘、山巓毛(さんてぃんもう)で敵機監視に当たり、米軍上陸後の45年4月からは少年警察として署に出入りした。
光栄さんによると、鉄筋コンクリートの1階に署長室や係長の机があり、2階は武道場や刑事の取調室だった。木造平屋は酔っ払いの保護室や留置場、外勤警官の詰め所があった。署員は約40人。
43年か44年ごろ、裏に武道場が新たに建った。光栄さんは「事件は少なかったが、訓練の必要が高まったから建てたと聞いた。徴兵で署員は減ったのに、いま思えば場当たり的な考えだと思う」。45年には署のそばに防空壕も掘られた。
建物は戦後も残り、米軍政地区事務所と町役場となった後、46年から再び警察署として使われた。78年に署が現在の同市西崎町に移った後、79年春には取り壊された。(「1935沖縄」取材班・堀川幸太郎)
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