沖縄戦から72回目の6月23日を迎えた。沖縄県内ではいまだ2012トンの不発弾が埋没していると推定される。年間の平均処理量は約30トンで、全てを処理するにはさらに70年を必要とする見通しだ。県議会では議員提案で「県不発弾等の根絶を目指す条例」の素案を策定し、9月議会での成立に向け、議論を進めている。戦後問題として国の責任を明確化し、早期処理に取り組むよう働き掛ける。

 県内では1972年の本土復帰以降、74年3月に那覇市小禄の幼稚園で不発弾が爆発し、4人が死亡、34人が負傷する事故が起きた。75年9月に伊良部村(現宮古島市)の鉄工所で不発弾を切断作業中に爆発し、40代の男性が死亡、87年1月にも那覇市の廃品置き場で不発弾が爆発し、50代の男性が死亡するなど、不発弾事故で6人が死亡、58人が負傷している。

 近年でも2009年1月に糸満市の歩道で水道工事中に2人が重軽傷を負っており、不発弾は戦後70年以上経過しても、爆発する危険性がある。

 16年度に県警から県への不発弾の届け出は651件。内訳は那覇市114件、糸満市90件、石垣市85件、浦添市83件、南風原町35件、西原町31件など。

 石垣市は旧日本軍が飛行場として使用した旧石垣空港で県立病院を建設する前の探査で多量に見つかっている。激戦地だった沖縄本島南部でくっきりと爪痕が残るのも特徴だ。

 沖縄戦での不発弾は約1万トンで、県は15年までに約7888トンを処理し、現在約2012トンが埋没していると推定する。これまでに全国で陸上自衛隊が処理した不発弾のうち、41・5%が県内とされ、県内に多くの不発弾が残る実情が浮かび上がる。