1960年に現在のかたちとなった日米安保体制は、どのようにして形成されたのか。条約改定の交渉過程はほぼ解明されたが、その軍事的側面については未解明の点が残っていた。いよいよそこに踏み込む研究が登場した。本書は在日・在沖米軍基地に焦点を当て、米軍部の認識と行動から安保改定への道のりを分析している。

米国と日米安保条約改定

 朝鮮戦争の休戦後、アイゼンハワー政権は極東米軍の再編と海外基地の縮小に乗り出した。この波を最小限の削減で乗り切ろうとした軍部の奮闘ぶりが余すところなく描かれている。

 今や在沖米軍基地の7割強を占める海兵隊もその波の中で沖縄にやってきた。不明な点の多かった海兵隊の沖縄移駐の経緯も次第に明らかになりつつある。これも米軍のアジア戦略の一環と位置付けられたのだった。

 1度手にしたもの、すなわち既得権益を手放さないのは官僚機構の常であり、米軍もその例外ではない。しかし、それだけでは政府首脳の納得は得られない。そこで軍部は戦略としての理由づけをあれこれと考え、曲折を経て、居座ることに成功する。それにより、本土の米軍基地は補給、沖縄は出撃という役割がそれぞれに与えられたのだという。合わせて、反米・反基地感情の高まりを抑えるべく、本土の基地の整理が進んだ。

 新安保条約のもとでも基地の自由使用など、米軍の既得権を維持するには、国民の目をあざむく必要があった。そのために密約が用いられ、事実上の占領の継続ともいえる状態がさらに続くことになったのである。

 冷戦の影が日本を覆う中で結ばれた対日講和条約は、その見返りとして沖縄の切り離しと不平等な旧安保条約という代償を伴うものであった。冷戦の論理という名の米軍の都合が、すべてに優先されてきた。今日まで続くその基盤は、安保改定と同時に固められたのだった。講和の代償の大きさをあらためて思い知らされる。

 それにしても、アメリカとは、政策への軍部の影響力のなんと大きい国であることか。

(植村秀樹・流通経済大教授)

 やまもと・あきこ 1979年北海道生まれ。一橋大大学院博士課程修了。第一法規編集者を経て、現在沖縄国際大非常勤講師および同大沖縄法政研究所特別研究員。共著に「沖縄と海兵隊-駐留の歴史的展開」