1935年の写真群には糸満でサバニを造る工房が写っている。金づちでノミをたたき、木を彫る音が聞こえてきそうな光景に、サバニ職人になって約50年の大城清さん(67)=糸満市西崎=は見入った。
「貼り合わせた板のくびれとふくらみは、高波の力を受け流すためのもの。座る板を載せるでっぱりは削り出し。後で部材を接着するよりも余分に木も手間もいるが、丈夫だ」と82年前の職人技を読み解く。
荷車が運ぶサバニの材料、宮崎県産の「飫肥(おび)杉」が写った写真もある。断面を見て「年輪に偏りがなく、まっすぐ。軽く扱いやすい舟ができる。こんないい木、今は選べない」と、うらやんだ。
サバニ造りに、ぜいたくな材料や手間をつぎ込んだ時代、舟は漁の成果に直結した。職人は腕を競い、舟主も機能美を求めた。いい舟に、いい乗り手という組み合わせは、最高の性能を引き出した。
予選を勝ち抜いて旧暦5月4日の祭事、ハーレーに舟を出せれば、3年間は豊漁間違いなしとされた。大城さんは「逆に、不格好だと肥えを運ぶのに使われた」と聞いたことがある。
漁や漁船の近代化が進み、65年ごろは糸満に「13人ぐらいはいた」(大城さん)というサバニ作り職人も、現在は60代の職人2人だけに。用途も漁から観光、スポーツ用にと変化した。
大城さんは「時代が変わっても、糸満の象徴。この戦前の写真には、機能美を突き詰めるヒントが詰まっている」と話した。(「1935沖縄」取材班・堀川幸太郎)