琉球大学の「琉球方言研究クラブ」に1年生のころ数カ月在籍した。先輩たちにくっついて、旧具志頭村に方言調査に行き、公民館に集まったお年寄りたちの言葉に耳を傾けた

▼方言を国際音声記号で記録するのは難しく、いくつも間違いを指摘された。大学に戻ると、研究室のパソコンにデータを入力する地道な作業が待っていた

▼顧問で6月28日に亡くなった上村幸雄先生に声を掛けられたのはその部屋。父親が離島出身だと言うと、先生は「いろいろ勉強できますね。それは良かった」と穏やかな表情で話された。だが先輩たちの高いレベルに付いていけず、クラブは早々と辞めてしまった。父の島の方言調査はできずじまい

▼14年後、担当していた文化面に先生が「身近で大切な対象をふかく全面的に研究してその中から自分で法則を発見しないかぎり、学問は現実から遊離し、見かけはともかく、質が向上しない」と寄稿。原稿を通して叱られた気分に

▼国立国語研究所で編集した「沖縄語辞典」は研究の基礎文献。琉大赴任後、設立に関わり代表も務めた沖縄言語研究センターでは同辞典を見直し、データベースとして公開するプロジェクトをスタートさせた

▼息が長く、緻密な手法は今もしっかりと引き継がれている。先生が礎を築いた研究は、今後さらなる果実を生み出すに違いない。(玉城淳)