中城村字津覇は上津覇(いーちふぁ)、富里(ふさとぅ)、糸蒲(いとかま)の三つの集落が主となり、約500年前に初期の津覇ムラができたと言われる。字誌によると1570年ごろから農村として栄えた。字ならではのしまくとぅば「チファクトゥバ」や風習がある。糸蒲に住んでいたとされ、初期の津覇集落を形成した3門中の一つ、新屋敷(みーやしち)門中の新垣隆永さん(89)、トヨさん(88)夫妻に津覇の歴史や風習、チファクトゥバを教えてもらった。(中部報道部・勝浦大輔)

津覇について語りながら、思い出話に花を咲かせる新垣隆永さん(右から2人目)とトヨさん(同3人目)夫妻、次男喜秀さん(右)、次女の久志隆子さん=中城村津覇

津覇の中心とされる拝所「火之神殿内」=中城村津覇

津覇について語りながら、思い出話に花を咲かせる新垣隆永さん(右から2人目)とトヨさん(同3人目)夫妻、次男喜秀さん(右)、次女の久志隆子さん=中城村津覇
津覇の中心とされる拝所「火之神殿内」=中城村津覇

 津覇小学校の裏手、丘陸地帯に富里、富里より上手に糸蒲、現在の県営中城団地の場所に上津覇があった。3集落の人々が海側の平地に移り、津覇集落を形成したとされる。

 字内だけで七つの拝所がある。その中でも中心とされるのは火之神殿内(ひぬかんどぅんち)。伝統芸能も独特だ。「津覇の伝統芸能といえばこれ」。隆永さんが自慢するのは、獅子舞だ。1頭の獅子で雌雄の演舞を踊り分けるのが特徴だ。ハチウクシーなどの祭事に奉納する。「字の住民が亡くなった時は火之神殿内の前は通らない」「墓参りに行く前に、海で足を清める」。独自の風習が地域に残る。

 「チファクトゥバ」も独特だ。「走れ、走れ」は、沖縄本島中南部では「はーえーせー」。だが、チファクトゥバで「ふぁいちきろー」。トヨさんは「運動会の駆けっこや、出発しそうなバスに乗る時とかによく使ったよ」と笑った。

 ほかにもユニークな言葉がある。中南部の「ぬげー(追い抜け)」は、「うぁーそー」。感嘆語の「あいえなー」は「なーい」。「わったー(私たち)」は「いがどぅ」など。

 イントネーションも異なる。よその地域へ行くと「いゃーゃ、ちふぁんちゅやらゃー(あなたは津覇の人でしょう)」。出身を言い当てられることもしばしばだった。

 村文化協会しまくとぅば部会の吉本初枝部長(67)は「明治ごろまで、生活の主体は農業。各字では、人手を取られまいと他の小字への嫁入りはもとより、交流もほとんどなかった。そのため独自の文化や言葉が備わっていった」と説明する。

 荒く、きつい話しぶりも特徴のチファクトゥバ。夫妻の次女、久志隆子さん(62)は、宜野湾市の普天間高校に入学する時、トヨさんに助言された。「しまでぃにぐとぅあびてぃならんどー(字にいる時のような話し方はしないでね)」。懐かしそうに振り返った。

 隆永さんは「ちふぁくとぅばあらさしが、ちもえんだーぐぁ(言葉は荒いが、中身は優しいよ)」。冗談交じりに笑った。