[ボーダーレス 伊江島の78年](7)

 米軍が家を奪った真謝区は伊江島の西北端に位置する。役場がある東側の「ムラ」から離れていて、人口は8区で一番少ない。抵抗は、孤立を強いられていく。

 阿波根昌鴻さんが保管していた大学ノート、通称「真謝日記」には1955年4月末の「軍用地主問題村民大会」の様子が記録されている。大城竹吉村長は「関係住民の苦境に対し、地元民が如何(いか)にすれば、良いか。(中略)余りに、無関心すぎる」とあいさつした。強制接収から1カ月半後の時点で、すでに他区住民の無関心を嘆いている。

 阿波根さんたちは「耳より上に手を上げないこと」などで知られる「陳情規定」を定め、非暴力を貫いた。接収された畑に入り、農耕を続けることが闘いだった。

 同年6月、米軍が一斉摘発に乗り出し、畑にいた区民約80人のうち男性だけ32人を選んで航空機で沖縄本島に連行する事態が起きた。東江トミさん(92)の夫で、区の書記だった保さん(故人)もその中にいた。...