金平茂紀のワジワジー通信2023
再開しますよ! 沖縄の皆さん! こんなワジワジー全開の世の中で、黙っていることは、罪を犯しているに等しい、と思うに至ったからだ。はっきりと申し上げよう。今の日本政府=岸田文雄政権は、再び沖縄を戦場にしようとしている。(最初にお断りしておきますが、この「ワジワジー通信2023」は紙面版とウェブ版のハイブリッド形式でお送りします。ウェブ版には紙面版では伝えきれない部分が加わっております)
本紙に「沖縄ワジワジー通信」連載の第1回が掲載されたのは、今から12年前の2011年1月11日。本連載の編集担当者が当時の紙面を見せてくれた。紙面を読んでみて、あらためてこの12年間の沖縄の激動、とりわけ県民の願いがいかに踏みにじられてきたか、その事実がいやというほど積み重ねられてきた歳月の重みを突きつけられ、痛切な思いにとらわれた。
この日の1面トップ記事は「移設先の再検討否定 岡田氏 『辺野古以外ない』」(注=当時の与党・民主党の岡田克也幹事長が普天間飛行場の辺野古移設を進める考えを那覇市内で明言した)だった。
当時、日本は民主党政権下にあった。首相は菅直人氏。前任の鳩山由紀夫首相が(普天間飛行場の移設先は)「最低でも県外」と、マニフェスト(公約)に掲げて華々しく政権交代を果たしたものの、その後、米政府(及び安保利権と直結する日米人脈)の怒りを買い、日本の外務省、防衛省官僚らのあからさまな裏切りによって、鳩山氏が首相の座から追い落とされた後に誕生したのが菅直人政権だった。この政権下で、日本は東日本大震災に見舞われ、福島第一原発事故が起きた。連載開始からわずか2カ月後のことだった。
菅政権下での沖縄政策は「辺野古が唯一の選択肢」とする地点まで後退したまま変わらなかった。菅氏にしてみれば、鳩山氏の二の舞は踏みたくないとの警戒心は尋常なものではなかったのだろう。鳩山氏に直接うかがったことがあるが、首相当時、沖縄政策について外務、防衛のトップ官僚たちと約束した守秘事項などは、翌朝の新聞にデカデカと報じられる始末だったという。「対米従属」が骨の髄まで滲みわたっている官僚たちの姿をまざまざと感じたという。
当時の沖縄県知事は仲井真弘多氏。この時点での仲井真氏は、辺野古移設は容認できない、県外移設を求めるとの姿勢だった。このわずか2年11カ月後に、この知事は、復権した自民党・安倍晋三政権下で「辺野古の埋め立て申請を承認する」という沖縄県政史上に残る一大政策転換をやってのけた。仲井真氏は「有史以来の(沖縄関係)予算だ」「驚くべき立派な内容」「これは良い正月になる」などと政府を絶賛する発言を繰り返していたことを僕はよく覚えている。知事が率先して民意を裏切る。県民の怒りは頂点に達した。この当時の那覇市長が翁長雄志氏だった。
14年の県知事選は大荒れとなった。仲井真氏が県民を裏切ったとの有権者の怒りは、約10万票の得票差となって翁長県政を誕生させた。ところが安倍・菅義偉両政権は、民意を背に辺野古移設反対を訴え続けた翁長知事に対して、面会さえも拒み、さまざまな方策を弄していじめにいじめ抜いた。翁長氏は病に倒れ、在職中の18年8月8日に死去、享年67。思い出すだけで、ワジワジーどころではなく、はらわたが煮えくり返るような、非道がまかり通ってきた。現在の玉城デニー県政は、翁長県政の姿勢を継承することを公約として選ばれたと記憶している。そうですよね、デニーさん。
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連載第1回で僕は「自分たちにとってイヤなものを、弱い部分に押しつける生き方を続けていくことに倫理的な負い目を感じない国」が当時の日本だと批判した。現在はどうだ。辺野古の基地建設工事は強行され続けているうえ、政府は、ウクライナ侵略を奇貨として「台湾有事」「尖閣有事」をあおり、ミサイル配備を含め南西諸島の最前線基地化、軍事要塞化を、確信的に、かつ県民の意思を全く無視する形で進め、沖縄を再び戦場にしようとしている。沖縄県民にとって、これは目の前にあるリアルな危険だ。
そんななかでもとりわけ露骨な「暴挙」(このような強い言葉をあえて使わざるを得ない)は、沖縄防衛局が、辺野古などの基地建設工事埋め立て用の土砂に、沖縄戦の本土南部激戦地から採取した土砂を使う計画を策定したことだ。
遺骨の混じる土を海に投じ、それで軍事基地をつくる。戦没者に対する冒瀆だとの憤りを表明し抗議行動の先頭に立っているのは「ガマフヤー」(沖縄戦遺骨収集ボランティア)の具志堅隆松さん(69)だ。1月18日に衆議院議員会館で、沖縄戦遺族らも参加して、防衛省、厚労省、外務省などとの意見交換会があったので取材に赴いた。
その現場で、具志堅さんたち切実な当事者と、遠い東京から沖縄を眺めているお役所の埋めがたいギャップを感じる場面があった。...