2015年の2月から3月にかけて、浦添市美術館で琉米・琉仏・琉蘭修好条約が展示された。王国末期の琉球を象徴する史料であるため、興味深く閲覧したことを覚えている。

榕樹書林・6264円/MARCO・TINELLO 1977年イタリア生まれ。2004年国費留学生として来日、法政大と早大の大学院で学ぶ。15年第1回ヨーゼフ・クライナー博士記念法政大国際日本学賞、16年沖縄文化協会賞比嘉春潮賞受賞

 これらの条約は、1850年代に首里王府とアメリカ、フランス、オランダとの間で取り交わされた条約である。当然、独立国同士で締結されるのが通常であるため、これらの条約は50年代に琉球が「独立国」であった証左となるものである。

 実際、明治政府は琉球国を廃し沖縄県を置く「琉球処分」を断行するが、政府のなかにはこれらの条約の存在が外交上の課題となるという懸念もあった。はたして、「琉球処分」でこれらの条約はいかに機能したのであろうか。

 本書の著者であるティネッロ・マルコは、「琉球処分」を研究する上で条約は無視できないと考え、あらたに欧米側の史料を用いて、条約締結から「琉球処分」までの琉球、日本、欧米の動向をまとめている。本書によって「琉球処分」が琉球、日本、中国3カ国の政治課題であるだけでなく、西洋列強の意図が不可分に介在していたことが明らかとなった。

 そのことは、1878年に駐日フランス代理公使が本国に送った、日本への併合を拒否する琉球の訴えが「いかに正当なものであれ」、フランス政府にとって直接的な利益をもたらさないというコメントに端的に表れている。結局、フランスは、日本・中国それぞれとの外交関係を天秤(てんびん)にかけ、自国の国益を優先して明治政府寄りの態度を示したのであった。

 このように、これらの条約が琉球に有利に働かなかった背景のひとつに、条約は問題にしないという欧米側の外交的な選択があったのである。

 本書により、「正当」な主張を訴えても、国際社会の賛同を得られなかったために独立を維持できず、明治日本に併合された琉球国の姿が浮き彫りとなった。王国末期の琉球、また現在の沖縄を考える上で、本書の示唆するものは大きい。(麻生伸一・県立芸術大学講師)