洞窟内で座り込み、作業をする若い男女たち。手には植物の繊維のようなものを持ち、細かく編み込んでいるように見える。
「ちょうど戦前に自分が見た風景。パナマ帽作りだと一目で分かる」
那覇市繁多川に住む知念堅亀さん(83)は、写真を前に当時を振り返る。
パナマ帽(アダン葉帽)は戦前に多く生産されていた沖縄の特産品。素材の植物(パナマ草やアダンの葉など)が乾燥していると加工が難しく、霧吹きで湿らせて作業が行われたという。湿気のある場所だと編みやすいため、戦前の沖縄では湿度の高い洞窟内で製造されることがあった。
長時間の作業もできるように地面に板を張り、敷物などが敷かれた。入り口近くは外気に触れて乾燥するので、洞窟の奥に作業場を設ける。洞窟内は暗く光が当たらない。手元を明るく照らすためか、頭上にはランプが下げられている。
帽子編みの内職をする人は「ボーシクマー」と呼ばれた。同名の沖縄民謡の歌詞では「1本ばや押すて 2本取てなぎて」(〈編む草を〉1本取って押さえて、2本取って投げて〈折り返して〉)と作業工程が歌われた。
知念さんは小学校低学年の時、識名宮の側にある洞窟内で若い男女がパナマ帽作りをしていた様子を目にした。「原料の草を引っ張ると『ヒュー』という独特の音がした。平和な時代の懐かしい写真。戦争が近づくと、この風景はなくなる」
庶民が生活の糧を得るため、帽子作りの作業場にしていた洞窟は、沖縄戦が近づくと防空壕(ごう)に姿を変えた。(「1935沖縄」取材班・与儀武秀)