1935年の沖縄写真群に写るサトウキビを搾る8馬力の圧搾機は、現在の沖縄市古謝公民館がある場所に建っていたかやぶき屋根の「サーター屋」(製糖場)にあった。当時9歳の比屋根朝栄さん(90)=沖縄市古謝=は「建物の中は湯気が立ちこめ、汗がどっと吹き出すような環境。女性たちが、サトウキビの汁を搾り出す作業をしていた。活気にあふれ、まさに模範部落を象徴する機械だった」と胸を張る。
50年に古謝の「共同製糖組合」の委員長を務めた比屋根さんによると、集落の農家で作る同組合が30年代に横浜の企業から約2万円(当時)で買った。ディーゼルエンジンで動く新しい機械だった。
古謝も元々は馬を使ってキビを搾る「サーター車」を使っていた。変化があったのは、33年に県から「糖業経営改善指導部落」に指定され、サトウキビ増産を目指す「模範部落」となってから。
沖縄国際大学名誉教授(農業経済学)の来間泰男さんは「33年から始まった政府による沖縄振興計画の『共同製糖場設置補助費』を使って買った可能性がある」と解説する。
大阪朝日新聞の「朗かな悲鳴 沖縄一の模範部落 視察団の殺到で」(35年8月7日付)という記事は、視察対応のため、作業効率が悪くなったとして、視察を月2回に制限したいと県に要請したことを伝えている。
比屋根さんは「毎日のようにバス4、5台を村人が出迎えたことを覚えている。古謝で生まれたことを誇りに思った」と振り返った。(「1935沖縄」取材班・比嘉太一)