白く光るたいまつの明かり。それを頼りに農作業を黙々とこなす若者たちの姿が浮かび上がる。1935年に撮られた旧美里村古謝集落の「夜間耕作隊」の様子を捉えた1枚の写真。比屋根朝栄さん(90)=沖縄市古謝=は「古謝は区民同士で助け合うことを最も大切にしていた」と振り返る。
夜間耕作隊は10~20代の男女約40人でつくる組織。日中はそれぞれの畑で作業をこなすが、朝と夜は高齢者や兵役で働き手がいない家庭の畑を手伝った。
古謝には、電気が通っていなかった。夜の作業ではサトウキビの枯れ葉を束にしたたいまつを、明かりとして使っていたという。比屋根さんは「青年耕作隊をつくるよう提案したのは区長だった」と証言する。当時の区長だった知念賢榮さんはサトウキビの収穫量を増やすために数々の方針を打ち出したという。大阪朝日新聞の「模範青年団古謝を表彰」(35年1月13日付)では県が懸命に働く古謝青年団を表彰する予定であることが伝えられている。
写真群の中にはサトウキビ畑の前に青年団が座り、時計を見ながら各自が働いた時間を集計している様子の写真もある。大阪朝日新聞の連載「海洋ニッポン」(35年)は、男性は時給12銭、女性は8銭で働き、時計係と記録係が集計したと書いているが、比屋根さんは「報酬なしで働いていたはずだ」と話す。
作業開始の合図はラッパの音だった。早朝と夕方に「パッ、パッ、パッ」と歯切れのよいリズムが集落一帯に鳴り響いた。比屋根さんは「その音を聞くのが楽しみだった。青年団のやる気がみなぎっていた」と振り返った。(「1935沖縄」取材班・比嘉太一)
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