[戦後78年]

 沖縄県うるま市は9日、同市具志川の具志川グスクとグスクに造られた壕の二つを市文化財に指定した。壕は沖縄戦で米兵に追い詰められた具志川の警防団の男女13人が「集団自決(強制集団死)」で犠牲になった場所。慶良間諸島や伊江島、読谷村での「集団自決」は広く知られているが、今回の指定で「うるま市でも『集団自決』が起きたことを後世に伝える契機にもなり得る」と専門家は指摘する。(中部報道部・又吉朝香)

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 今回の壕とグスクの文化財指定は所有者である具志川自治会が2020年、市に申請し指定に至った。

 壕は1944年に日本軍が構築。日本軍が南部に移動後、字具志川の住民や15~32歳の男女23人による警防団が身を潜めていた。

 45年4月4日、侵攻してきた米兵に追い詰められた警防団は、日本軍から渡された手りゅう弾で「集団自決」を実行。13人が死亡し、生存者10人も大けがを負った。

 県教育委員会の2014年の調査によると県内に戦争遺跡は1077カ所あるが、文化財指定は具志川グスクの壕で28カ所目。戦後78年、戦争体験者が高齢化し、壕の劣化が進む中、文化財指定された戦争遺跡は全体の2・5%にとどまっている。

 壕の入り口には慰霊碑が建っているが、周辺は草木が生い茂って足場が悪く、訪ねる人は少ないという。

 また、1955年に発見された具志川グスクは14~15世紀に造られたとみられる。火葬骨や南九州から持ち込まれた土器やガラス小玉が見つかり、当時の文化交流や葬制を知る上で重要な遺跡と判断され、指定に至った。グスクには拝所があり、地域住民によってウマチー行事が年4回開催されている。

 具志川自治会の高江洲朝美会長は「今後はグスクや壕の環境整備に力を入れ、地域住民にとって大切な場所にしていきたい」と話した。

■平和学習に活用期待 吉浜忍さん・沖縄国際大元教授

 具志川グスクとグスクの壕がうるま市の文化財に指定された意義は大きい。特に、自治会主体で取り組んだことを高く評価したい。文化財指定は市町村が独自で動く場合が多いが、土地の所有者が複数いたり、所有者が見つからないなどで指定に至らない場合も多い。

 市の文化財指定を受け、具志川グスクや壕を訪れる人は急激に増えるだろう。大型バスが来た場合の駐車場やガイドの手配など、自治会だけの予算や人手では手に負えなくなる。市のバックアップ体制が必須だ。

 今回を契機に、市は市内の他の戦跡の文化財指定や整備に取り組んでほしい。川田の海岸線沿いには、米軍の上陸を警戒して護岸に銃を固定するための銃座がある。平敷屋や伊計島には砲台跡など、他市町村にはない戦争準備のために造られた遺跡が数多く残っている。市独自の戦跡巡りのコースをつくれば、より効果的な平和学習のコンテンツとなり得る。

 市町村が文化財指定している戦争戦跡は28カ所で、県指定は1件もない。戦後78年が経過し、県内各地の壕は劣化が進み、平和学習のコンテンツとしての活用が年々難しくなっている。これを契機に、他地域でも文化財指定の取り組みが進むことに期待したい。

(談、沖縄近現代史)