関東大震災から9月1日で100年。日本人は当時、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などというデマを流し、朝鮮人を虐殺した。中国人、地方出身の日本人、そして沖縄人も差別の被害に遭った。沖縄人は少なくとも1人が自警団に殺されたほか、けがをさせられたり、街頭で尋問されたりした。書籍に残された証言から、沖縄人の震災体験をたどる。(編集委員・阿部岳

 はっきりと分かっている虐殺被害は千葉県で起きた検見川(けみがわ)事件。自警団が朝鮮人と間違えた「沖縄県人の儀間次助」(氏名は報道によって異なる)ら3人を殺害し、遺体を川に捨てた、と東京日日新聞が伝える。

 警察官も被害に遭った。「那覇壺屋生まれで東京府下亀戸署勤務の城間巡査」が「偽巡査」と疑われ重傷を負ったと、沖縄朝日新聞が報じた。これらの記事は島袋和幸が編んだ私家版の資料集「関東大震災 千葉県〈検見川事件〉」にまとめられている。

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 東京で暮らしていた沖縄歴史研究者の比嘉春潮は手記「沖縄の歳月」に詳細を残している。自警団が夜、自宅を訪れ、「朝鮮人だろう」「ことばが少し違うぞ」と追及される。「僕は沖縄の者だから君たちの東京弁とはちがうはずじゃないか」と反論するも納得しない。押し問答が続き、自警団の一人は「ええ、面倒くさい。やっちまえ」と怒鳴った。一緒に警察署に行き、何とか助かった。

 別行動だったおいの春汀は「朝鮮人だ」と叫ぶ自警団にこん棒で殴られ、血だらけになった。春潮はほかにも、「長浜という首里の青年」が行方不明で、「殺されたとしか考えられない」と指摘する。教育者の豊川善曄(ぜんよう)は自警団に疑われ、君が代を歌うよう強制された。新聞に行方不明者「鮮人安里亀」が「アンリキ」というルビ付きで載っていたのは、「あさとかめ」ではないか、とも推定している。

 社会運動家の大里康永は著書「自由への歩み」で、町内の自警団に加わったことを記している。ところが非番で新宿に買い物に行った時、別の自警団に「その持ち物は何か」と、問答無用で風呂敷をひったくられた。中から転がり落ちたのはパンと果物だった。

 阿波根喜代は震災当時、東京の製紙工場で働いていた(その後阿波根昌鴻と結婚)。「言葉があまり流暢(りゅうちょう)ではなかったので、朝鮮人と間違われては大変だといって外に出ないように閉じ込められました」と、「伊江島の戦中・戦後体験記録」で証言している。

 実際に知人の朝鮮人が多数殺された。「どうしてデマだけでこんなに人を殺してしまうのだろうか、日本人は本当に野蛮だと思いました」と述懐する。

 「なはをんな一代記」を書いた金城芳子も、女性3人連れで歩いていた時、うち1人が持っていた紅型の風呂敷を自警団に見とがめられた。「私は朝鮮人や中国人と親しく付き合っていたから、デマは信じなかった」と、元沖縄タイムス記者の国吉真永の著書「沖縄・ヤマト人物往来録」の中で語っている。(敬称略)