
中華料理店の店長、パン焼き職人、出版社の営業、アニメ制作会社の進行管理、コンビニのアルバイト…。県内のタクシー大手・沖東交通に2022年7月に入社した棚原豊さん(38)は、驚くほど多彩な職歴の持ち主です。沖縄から上京して15年、東京の荒波にもまれた後に運転手になりたいと思ったのはなぜでしょうか? 接客術の真骨頂を見せたエピソードとは? 連載「苦境のタクシー業界に飛び込む新鋭たち」の【下】は、棚原さんの山あり谷ありの仕事人生を振り返り、タクシー運転手のやりがいに迫ります。
#上)「ワークライフバランス」を求めて運転手に 元添乗員の経験を生かす2児の母
#下)東京の荒波にもまれ15年 驚く職歴の「新人」、故郷で見つけた運転手のやりがい(今回)
「いろんな乗客と話すと『あっ、私もその仕事をしていましたよ』と会話が進む。今までの苦労は無駄じゃなかった。人生経験を最大限に生かせるのがタクシー運転手だと思う」
沖縄の高校を卒業後、映画専門学校に入るために上京した。さまざまな職業に加え、激務も経験した。アニメ制作会社時代の主な仕事は車で作品を運ぶこと。「3カット描いたので取りに来て」「この絵を描くのに資料が欲しいので持ってきて」。そんな電話が夜中にもかかってきた。帰宅する暇さえなく、2週間余り会社の机で寝たことも。出版社時代は真冬に、社長行きつけの銀座のクラブの前で8時間、寒さに震えながら立ちっ放しで待たされたこともある。
都内のコンビニでバイト時代にはこんなことも。客が無言で500円玉をレジに放り投げてくる。「●●の●ミリのタバコをくれ」という意味だ。「何をお求めでしょうか」と聞くと、「分かんねぇのかよ」とすごまれた。
猛烈な忙しさや、一筋縄ではいかない客への対応に何度も直面し、「自分は機械扱いされているのでは」「世の中に必要とされていないのでは」と疑問を抱くようになった。根なし草のような気分だった。
仕事に追われる日々を送る中、自ら作って販売するほど好きなボードゲームや、キャンプなど、多彩な趣味の時間を取れずにストレスがたまった。中華料理店の店長に就くため愛媛県へ引っ越してからも、状況は同じだった。同県内で乗ったタクシーの運転手に忙しさを吐露すると、「タクシー運転手なら、自分のペースで仕事ができるよ」と勧めてくれた。
その後、中華料理店はコロナ禍で売り上げ目標を達成できず閉店。沖縄に戻って求人情報誌を読むと、タクシーの求人がいくつも載っていた。愛媛で会った運転手の勧めを思い出し、広告が一番大きかった沖東交通に電話した。自分の好きなように仕事のスケジュールが組めそうだと分かって入社を決め、給与は歩合制を選んだ。1日の売り上げは、最も多い日で...