[心のお陽さま 安田菜津紀](23)

 ガザへの熾烈(しれつ)な攻撃が続いている。沖縄本島の3分の1に満たない面積に、220万人が閉じ込められたまま、電気が断たれ、燃料も食料も水もじわじわと尽きようとしている中、まともな医療など届けられるはずもなく、病院も、瓦礫(がれき)となった集落も、地獄と化している。

 イスラエル軍は「南部に退避しろ」と連呼する。「避難は呼びかけた、あとは自己責任だ」といわんばかりに。乳飲み子を抱えた親たちは、体の動かない人たちはどうしろというのか。そしてその南部も爆撃していることを、彼らは認めている。

 私たちの元に、沖縄からこんな声を届けてくれた人がいた。「『南部へ撤退(避難)』と指示され、逃げる場もないのに、追い詰められ、非戦闘員が攻撃される…沖縄戦に酷似しすぎていて…戦慄(せんりつ)します…とてもひとごとに思えません」

 ガザ北部に数十万人が取り残されている中、イスラエル軍は地上侵攻を続ける。対馬丸から生還した故・平良啓子さんが、地上戦の恐怖は「死ぬまで頭にこびりついている体験」と取材時に語ってくれたことを思い返す。

 「暗闇の中、飛び交う弾の音から逃げまどいながら、母に『海で漂流するより怖い』と訴えました。いまだに銃弾に追われる夢を見て、ベッドから落ちることがあります」

 そもそもガザの人々の多くが、1948年のイスラエルの建国やその後に続く戦争で、土地を追われ、難民となり、いまだ故郷への帰還が叶(かな)っていない人々だ。「南部に退避」が「一時的なもの」ではないかもしれないことを、彼らは知っている。そもそもこの侵攻前から、ヨルダン川西岸地区でも、占領と入植によって、多くのパレスチナ人の土地が奪われてきた。時には銃や、ブルドーザーを用いて。差別的な政策と扱いで、彼らの尊厳はずたずたにされてきた。

 「沖縄戦後、多くの住人たちの土地が奪われて、占領に苦しんだことと重なる」と、沖縄に暮らす友人は語る。同じ痛みは、ウチナーンチュにも、パレスチナ人たちにも、誰の身にも起きてはならない、と。(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)

 おことわり 20日が休刊のため19日付で掲載します。次回から第3月曜に掲載します。