飲酒欲求をつづるアコさんの日記
飲酒欲求をつづるアコさんの日記

 今日も1日、育児も仕事も頑張った。プシュッ。子どもたちと夕食を囲み、風呂上がりの乾いた喉に冷たいビールを流し込む贅沢(ぜいたく)。そんな、ささやかな幸せを覚えたのは30代に入った頃だ。お酒は癒やし、家族団らんを盛り上げる単なる「脇役」。それがいつしか、大切な家族を傷つける存在になるとは思いもしなかった。(デジタル編集部・篠原知恵)

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 沖縄県内で、生活習慣病のリスクを高めるほど過度な飲酒をする女性の割合が急増しています。体格的に、男性よりアルコールの害を受けやすいという女性。男性に比べて2倍もの速さでアルコール依存症になり、10年以上早く肝硬変になるといわれます。依存症を経験し、回復を目指す本島中部のアコさん(51)=仮名=に話を聞きました。
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 「お母ちゃん、お疲れさん!」。5歳の長男が冷蔵庫から缶ビールを取り出し、渡してくれた時のはにかんだ笑顔が忘れられない。出産と子育てに忙殺され、長い間、アルコールから遠ざかっていたアコさん。再び晩酌を楽しむようになったのは、長男と2歳下の長女を保育園に預け、復職したことがきっかけだった。

■「手軽に酔える」の落とし穴

 缶ビールは、ワンオペ育児と仕事を乗り切った「自分へのご褒美」。子どもとの会話で酒も進んだ。

 順調だった日々が崩れ始めたのは35歳の時だ。夫の事業失敗を機に離婚。養育費も当てにできず「『働かないと』というプレッシャーに襲われた」

 転職し、飲食店で長時間、立ちっ放しの仕事をこなした。帰宅して子どもの顔を見ると、無事に一日を終えた安心感と達成感が込み上げる。やがて夕飯まで待ち切れず、料理中に缶ビールを開けるようになった。

 勤務時間を増やしても親子3人の生活は厳しく、実家に戻り、両親のサポートを受けながら午前9時から1日12時間以上働き出した。

 苦しい気持ちや不安を紛らわせるため「お金に余裕はないが飲みたい。そんな時、救世主が現れた」。ビールより少ない本数で手軽に酔えるストロング系酎ハイに手を出した。「それが大きな落とし穴だった」

■「飲んだらきびきび働けた」

 40歳を過ぎ、勤務先で管理職に昇進。午後10時を過ぎて帰宅しやっと晩酌を始めるころには、子どもも両親も寝ている。アルコール量は底なしに増えた。

 家族も空き缶の山には気付きながら、家事や仕事は「普通」にこなしているアコさんに強い違和感は持っていなかった。「ずるずると落ちていったんでしょうね。自分も周りも気付かないうちに、戻れないところにまで」

飲酒時に転んで欠けたアコさんの前歯。飲酒時は欠けたことにも気づかなかったという=10月、沖縄本島
飲酒時に転んで欠けたアコさんの前歯。飲酒時は欠けたことにも気づかなかったという=10月、沖縄本島

  アコさん自身が「決定的だった」と語る出来事が起きたのは44歳の夏。酷暑の昼、勤務先で客が残したビールの誘惑に勝てず、隠れて一気飲みした。体内にアルコールを入れると、昨夜飲み過ぎて重かった体と心がうそのように軽くなり、テンションも上がった。眠気も飛び、きびきび働ける。「昼飲み」の快感を覚えた。

 それからは、店内で隠れて飲酒する行為が次第に常習化。店に知られて解雇された。資格を生かして保育士として働き出したが酒が切れると体が動かず、隠れて酒を持ち歩いた。時はコロナ禍。マスクで酒臭い口臭もごまかせた。気心が知れた友人と会う機会もめっきり減った。

■入院治療決意した決め手は

 この頃、健康診断で肝機能の指標「γ(ガンマ)-GTP」の値が700を超えた。正常値は30以下。体はボロボロだった。つえ代わりの傘が手放せず、自分の体を引きずるように歩いた。酒が切れると発汗や震えなどの離脱症状にも苦しんだ。

入院治療で断酒し、1年以上たってようやくガンマの値が正常値に近づいた=10月、沖縄本島
入院治療で断酒し、1年以上たってようやくガンマの値が正常値に近づいた=10月、沖縄本島

 当時、仲むつまじかった父の後を追うように母が自死し、精神的につらい時期も重なった。家は荒れ、酒の臭いが常に漂う。アコさんは何度も救急搬送され、子どもたちに泣きながら断酒を懇願されてもやめられなかった。「家族がばらばらになるのが分かった」。面倒を見てもらうため、就職したての息子を何度か自宅に呼び戻し、娘のために借りた教育ローンにも手を出した。

 「こんなお母さん、生きている意味がない」。断酒できない自分自身を責めた。

 子どもたちのためにやめなければー。

 「私は依存症だ」。数年前からそう確信しつつも、生活のため酒に頼って働いてきた。下の子の就職が決まったのを機に、仕事を辞めて入院治療を受けることを決心。自ら専門病院に電話した。50歳手前になっていた。

■もう、二度と戻らない

 入院を経て断酒し、1年半を迎える今も、不意に飲酒欲求がわき上がる。恐怖は拭えず断酒会に足繁く通う。酒のテレビコマーシャルや発泡酒に似たジュースのパッケージを目にすれば、スーパーの酒販売コーナーの周辺を通れば、強い飲酒欲求がこみ上げる。それでも「子どもたちのために人生をやり直し、償いたい」。その一心で硬く断酒を誓う。

 酒に飲まれる前の本来の自分を、少しずつ取り戻していく毎日。「普通の生活が何よりうれしい」。飲酒欲求との闘いは一生続くが、二度と過去の生活には戻りたくないという。

 自身も周囲も明確に認識しないまま、ずるずると落ちていった依存症の闇。アコさんは「飲み過ぎかなと思っても、当時の私や家族には気軽に相談できる窓口が分からなかった。例えば公共機関のトイレなどに相談先案内を張るなど、もっと広く周知すれば救われる人もいるはず」と提言する。