まだ沖縄ー東京間が国際路線だった時代。単身赴任の父親に会うために那覇空港から飛行機に乗り込んだ少女は、優しく接してくれた客室乗務員(CA)に憧れの念を抱きます。「いつか私もあの人みたいになりたい!」。その夢を見事かなえた日本航空(JAL)の崎原淳子さん(59)は、入社してから35年間、CA部門一筋でさまざまな実績を積んだ後、中部支社の支社長に就任しました。今回の「胸熱!シゴト人」は、同社史上初となるCA出身の支社長として活躍する崎原さんのキャリアをひもときます。(フリーランス記者・伏見学)

 スーツをピシッと着こなし、姿勢良く背筋をピンと伸ばす。言葉遣いは丁寧で、度量の大きさを感じさせる雰囲気が漂う。JALに入社してから35年間、一貫してCAとして働いてきた。2022年4月、中部支社(名古屋市中区)の支社長に抜てきされ、自身のキャリアで初めての営業部門へ。JALにとってもCA出身の支社長は前例がなかった。

CA時代には世界中を飛び回った崎原淳子さん。立場は変われど今も忙しく駆け巡る日々だ=2023年9月、名古屋市のJAL中部支社
CA時代には世界中を飛び回った崎原淳子さん。立場は変われど今も忙しく駆け巡る日々だ=2023年9月、名古屋市のJAL中部支社

 「この年齢になって、新しいことにチャレンジさせてもらえている。多くのお客さま、仲間にも新たに出会えた。地域の存在価値を高める、新しい価値を創造するという非常にやりがいのある仕事に取り組むことができた。自分の成長にもつながっていて、ありがたいです」

 名古屋はもちろん、東海や北陸など8県の地元企業や行政などと一緒に、地域課題の解決に奮闘する日々を送る。一例を挙げると、杉本食肉産業​​(名古屋市)とともに愛知県産ブランド和牛「みかわ牛」を使った商品を共同開発したり、中部国際空港がある常滑市の職員向けにホスピタリティーセミナーを開催したりしている。

 慣れない環境にも当初は苦労した。支社内の会議で飛び交う営業用語が分からず、その都度確認し、新入社員になったような気持ちで学んだ。着任から1年半が過ぎ、ようやく支社長の仕事も板についてきた。今はこの現場で全力を尽くすが、いつか役目を全うしたら、故郷・沖縄にも貢献したいと考えている。

 生まれはコザ市(現在の沖縄市)で、すぐに那覇市首里へと引っ越した。両親が共働きだったため、近所の人たちにも面倒を見てもらいながらすくすくと育った。

 幼少期はおとなしく、学校の先生からも心配されていたほど。そんな引っ込み思案の性格を変えるきっかけをくれたのが、小学2年生の時の担任だった。

 「一人一人の児童に目を配り、丁寧に向き合ってくれる大ベテランの先生でした。そのおかげで少しずつ自分が出せるようになってきたのかな。いまだにその先生のことは覚えています」

 そこから徐々に殻を破り始め、中学生になるとクラスの副委員長を務めるなど、人前に立つ役割もこなすようになった。

 後に天職となるCAを知ったのは小学1年生の夏休み。父の単身赴任先だった東京へ遊びに行った時のことだ。当時の沖縄は日本復帰前だったため、那覇ー東京は国際線扱い。琉球政府発行のパスポートを持って飛行機に乗り込んだ。そして搭乗したJALのCAに“一目ぼれ”した。

 「前方の席に座らせてもらいました。ミニスカートの制服がすてきでしたし、それまでの人生で洗練された優しいお姉さんに対応してもらった経験がなかったので、ものすごく衝撃を受けました。憧れの気持ちがわっと芽生えました」

 以降、将来はCAになりたいと思うように。高校生の頃には夢から明確な目標になっていた。英語ができなければ駄目だと、現在の那覇新都心にあった米軍住宅へ通い、英会話のレッスンに励んだ。

 「ただその時は、...