「はいさいぐすーよー、ちゅううがにゃびら、ちゃーちゅーぱんじゃ、やんしぇかやー(皆さんこんにちは。いつもお元気ですか)」。毎週土曜日、沖縄県本部町の「ちゅらハートFMもとぶ」から、伊江島のシマグチが流れる。パーソナリティーを務める内田竹保(たけやす)さん(63)が「サテライトスタジオ伊江島」から北部一円に、民謡とともに伊江島の話題を届ける。「伊江島のシマグチ、沖縄本島のしまくとぅば、標準語の“3カ国語”を使って話す」。シマグチの魅力を伝えようと工夫する。(北部報道部・西江千尋)

伊江島のシマグチを使ってラジオの生放送でしゃべる内田竹保さん(手前)=5日、伊江村川平

 内田さんは伊江村東江前出身。普段は村議や農業、民謡研究所と多忙な日々を送る。番組は「ヤースの沖縄(うちなー)・伊江島(いーじま)・島歌の数々(かじかじ)」。毎週土曜の午後7時から1時間、伊江島の民俗芸能や沖縄の民謡、曲と島の出来事を伝える。

 伊江島からのサテライト放送は昨年4月開始。はにくすにホールの一角にスタジオを設け、内田さんら4人のパーソナリティーがそれぞれ1時間を担当し、土日に生放送する。

 内田さんは担当当初からシマグチ、沖縄本島のしまくとぅば、共通語を使う。「標準語や本島の言葉では表現できない、曲の世界観、人情があるから」。シマグチの魅力を話す。伊江島の民謡や民俗芸能などの紹介では、シマグチを使う。本島の民謡では「『肝がなさ節』うとぅどぅきさびたん(『肝がなさ節』をお届けしました)」。曲に合わせて使い分ける。

 物心ついた時からシマグチが日常にあふれていた。1960年代、小学4~5年のころから、島でも標準語励行が徹底された。シマグチを使うと「方言札」で罰せられた。「ずっとぶら下げておくのは恥ずかしい。隣の子の足をつねって『あがー!』と言わせて方言札から逃れていた」。

 学校からシマグチが消えた。それでも、教諭の目の届かない家庭に帰れば会話はシマグチだった。6歳から三線を手にするなど、同世代と比べてもシマグチと芸能へのこだわりは強い。

 島に来る沖縄芝居や民謡ショーが大好きで、大人にまじって見物した。農協職員になった20歳のころ、出張で那覇市に出て仕事を終えると、全盛期の沖映に直行した。「芸能の殿堂だったね。七色むーてぃーの伝承を元にした『真玉橋由来記』はすごかったよ」。当時の高揚感を思い出し笑う。

 そのころ本島の言葉、芝居言葉、地域の言葉の異なりにも気付いた。「自分たちのシマグチとは全く違う」。伊江島のシマグチは「パピプペポ」の音が多い。農家は「パルサ」、おばあさんは「パッパ」。

 ラジオでシマグチを使うと、本島の知人から「伊江島の言葉は難しいね。聞いても意味が分からない」と言われることもある。三つの言葉を使うのは、皆に理解できるようにとの工夫だ。「昔からそれぞれの地域で受け継がれてきた言葉には、人々の情け、人情がつまっていて、温かいんだよね」。伊江島のシマグチの魅力が伝わることを願う。