タイムス×クロス 金平茂紀の新・ワジワジー通信

沖縄めぐる多事争論を 混迷の今だからこそ必要 【金平茂紀の新・ワジワジー通信(28)】

2017年8月30日 20:01
金平 茂紀
金平 茂紀(かねひら しげのり)
TBS報道記者、キャスター、ディレクター

1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。

 何でも隠したがる、なかったことにする。とかく隠蔽(いんぺい)体質が強い日本社会において、論争が活発になること自体は喜ばしいことだ。9年前に他界した筑紫哲也キャスターのモットーは「多事争論」だった。福沢諭吉の『文明論之概略』からとられた言葉だ。ワジワジーすることが多い今だからこそ、大いに口角泡を飛ばして論じ合うことには価値がある。

「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」で新基地建設阻止への決意を県民に訴える翁長雄志知事=8月12日、那覇市・奥武山陸上競技場

 辺野古の新基地建設工事を具体的にどう止めるか。沖縄には独立という選択肢が本当はどれくらいあるのか。ウチナーグチを語り継ぐにはどうしたらいいか。子どもの貧困は数字的には沖縄が一番ひどいが実情はどうなのか。果てはキジムナーは実在するのかどうか…。もともと沖縄にはユンタクの伝統があったはずだ。何でもわいわい話すことで答、出口をみつける。

 そこで沖縄を舞台に交わされた最近の論争で、関心を引かれたことを書きとめておきたい。黙っているのが一番よくないのだから。

 ひとつは、「オール沖縄」の今後の行方をめぐる本質的な論争の一つだと思うが、カナダ在住の編集者で幅広い社会運動のアクティビストでもある乗松聡子氏と、沖縄法曹界の重鎮・新垣勉弁護士との間で、本紙においてこの春交わされた論争だ。辺野古新基地建設をめぐって、翁長雄志知事の埋め立て承認「撤回」という切り札がなぜ使われないのか、その戦術的評価をめぐって両者の姿勢の違いが鮮明になった。さらに、辺野古新基地建設反対をあらためて表明するべく「県民投票」を実施しようというプランの評価をめぐっても両者の姿勢は大きく食い違った。

 こんなふうに書いてもなかなか伝わらない読者のために、あえて乱暴に言い分を整理すると、乗松さんは、日々埋め立て工事が進み大浦湾の海底が破壊され続けている事態下では、「撤回」を翁長知事が即刻行うことが何より大事だと主張していた。「民意」はもうイヤと言うほど示されてきたではないか。いまさら県民投票をやっても政府がまた無視するのは火を見るより明らかではないか。大体、県民投票の実施に何カ月もかけていたら、その間に国は「既成事実」をどんどん積み上げていくだけだ。翁長知事の「撤回」回避は、政治力学に翻弄(ほんろう)された結果で、基地阻止とは逆方向を向いているのではないかと主張した。

 これに対して、新垣氏は、乗松氏の主張の根っこにあるのは「いら立ちと焦り」と指摘した上で、乗松氏には、知事がすぐに「撤回」に踏み切れない「県の苦悩を洞察しようとする視点がない」ときびしく批判する。新垣氏によれば、県は現状では『撤回』を行うための理由は弱いと考えており、撤回理由となり得るのは、工事の諸行政手続き「違反」と「民意」の2点なのだから、ここは「粘り強く辛抱を重ね、裁判で勝ち抜くだけの法的理由を固めた上で『撤回』を行うべきである」と説く。県民投票については、「知事が『撤回』を決断しやすい政治的環境を準備することになる」とポジティブに位置づけている。

 この論争は沖縄タイムス文化面の担当者の判断で一時中断になったようだが、双方の主張には非常に重要な論点が含まれているように思う。

 論点を拾い出そう。ひとつは司法=裁判にどこまで望みを託せるかをめぐる認識の違いだ。弁護士である新垣氏はあくまでも裁判での勝利にこだわる。「裁判至上主義ではないか」との声が聞かれるほどだ。新垣氏は、福岡高裁那覇支部の違法確認訴訟の判決を例示しながら記す。

 「『撤回』をめぐる訴訟も今後同一の裁判所に継続する(中略)同判決は県民の民意につき、『民意は新基地建設に反対である』との認識に立たなかった。(中略)この状況を踏まえると、裁判官を説得するための新たな方策が必要となる。その最も効果的な方法が『新基地建設の是非』を問う県民投票である。乗松意見には一貫してこの視点がない」。

 僕は実はこの部分を読んであっと驚いた。あのような判決を下した福岡高裁那覇支部=司法にまだ期待をつないだ上に、裁判官を説得するため民意による外からの後押し=県民投票を考えるという思考経路に対してである。今、司法がどのような惨状をきたしているかについての両者間のすさまじいギャップ。冷徹な認識に立つならば、現在の司法が米軍基地建設にノーの判断を下す可能性は皆無に近いのではないのか。これをどう考えるか。率直に論じられた方がよくないか?

 もうひとつは古くて新しい論点。政治と社会運動・表現のあいだの従属関係、指導する側・される側の関係、組織分裂を極端に恐れるが故の「統制」をめぐる諸問題だ。いつのまにか政治が一段高い位置から民衆を導いていくという図式に陥っていないか。乗松氏の主張の根底には、新基地建設を止めなければそもそも何のための政治組織か、何のための「オール沖縄」か、という非常にせっぱ詰まった認識がある。

 言うまでもないが、県民大会の主人公は県民であって、県知事や組織ではない。同じように県民投票の主人公も県民であって、知事の「撤回」決断をしやすくするための環境作りという発想は、政治優位の思考に陥っていないか。日本全体のさまざまな社会運動にも共通する。

 そして最後の論点は多様性の確保。これがとても大事な論点なのだが、世代や階層、性別、意見の違いを超えてなお、それらを〈包摂〉する多様な運動のありようをどうつくっていくか。言うは易し、だが最も困難な課題だ。

 僕は率直に思う。沖縄の基地建設反対運動は今、深刻な閉塞(へいそく)状況に陥っているのではないか。運動のありようも単色化していないか。つまり魅力を欠いていないか。若者たちが近づきにくくなっていないか。沖縄の「民意」も徐々に液状化してきている。NHKが今年4月に行った世論調査では、沖縄に米軍基地があることについて、本土復帰前に生まれた世代は「否定」が53%だったが、復帰後に生まれた世代では「容認」が何と65%、「否定」は30%にとどまった。

 「多様性」は沖縄にとっても大切な価値観だ。チャンプルーという発想は沖縄の柔軟な可能性を表している。でも何だか今、沖縄で自由に声をあげる空気がこわばってきていないか。「沖縄の言論の場は足の引っ張り合いに終始し、建設的に本音を語る土俵そのものが空洞化してしまっている」(那覇在住の作家・仲村清司氏)。

 乗松氏も新垣弁護士も、辺野古に新基地をつくらせてはならないという点では一致していたはずである。その間で論争が起きる。そこから真の問題点をつかみ取って次につないでいく。そのことこそが大事だと思うからこそ、ウチナンチューでもない僕がこんな文章を「ワジワジー通信」に書いている。正直、複雑な気持ちが消えない。(テレビ報道記者・キャスター)=随時掲載

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