1942年10月から45年11月にかけて、米軍の魚雷や空爆などの犠牲になった沖縄関係の船舶は、学童疎開船「対馬丸」を含め26隻に上った。沈没地点は南西諸島周辺だけでなく旧南洋群島などに及び、少なくとも計4580人が亡くなった。