【週刊沖縄空手】沖縄小林流空手道究道館連合会長・那覇大綱挽保存会名誉会長 比嘉稔氏

 ギネスブックで世界一に認定された全長200メートル、43トンの綱を引き合う一大行事、那覇大綱挽(ひき)。琉球王朝時代から続く伝統の祭りは戦前にいったん途絶えた後、1971年に恒例行事として復活した。76年、初代那覇大綱挽保存会長で沖縄小林流空手道究道館連合会長だった故・比嘉佑直氏(1910〜94年)が、綱挽の前哨戦として空手の演武を導入し、おいの比嘉稔氏(76)=現保存会名誉会長、同館連合会長=が後を継いだ。東西に分かれ互いをあおる「ガーエー」の演武は、各字の誇りを示す旗頭とともに綱挽を盛り上げ、来場者の目を楽しませている。(運動部・當山学)

那覇大綱挽でガーエーの演武をする50歳ごろの比嘉稔会長(本人提供)

ガーエー演武で行ったソーチンの型を打つ比嘉稔氏=9月25日、那覇市壺屋の究道館(當山学撮影)

那覇大綱挽でガーエーの演武をする50歳ごろの比嘉稔会長(本人提供) ガーエー演武で行ったソーチンの型を打つ比嘉稔氏=9月25日、那覇市壺屋の究道館(當山学撮影)

 佑直氏は門下生や空手仲間を綱挽に引き込んで、旗頭や空手を披露させた。佑直氏の下で空手を習っていた稔氏は第1回から参加し、ガーエー演武を60歳まで担当した。

 稔氏が所属していた「西一番旗」には究道館の空手家のほかに、稔氏と同じ泉崎のトレーニングジムに通っていたパワーリフティングの世界王者、日本王者ら屈強なアスリートがそろい、旗頭持ちとして腕を振るっていた。

 剛柔流の福地清幸氏や仲本清仁氏らも大綱挽の運営に関わった。このため、「空手家が那覇大綱挽を引っ張ってきた」ともいわれる。次第に東は首里手、西は那覇手と、流派で分かれて競うようになった。

 通常の型と違い、「テクニックを見せるというより、荒くてもいいから相手を圧倒するような気迫のある演武」(稔氏)が求められる。本来は「礼」から始まる空手だが、この時ばかりは「お互いに礼」をしないのも特徴となっている。

 綱挽をこよなく愛した佑直氏は、戦前最後となった35年の開催のことなどもよく知っていた。稔氏は「空手の稽古が終わると、よく綱挽の話をしていた。『どこの誰がうまく旗をあげ、どこの誰は旗を倒した』とか」と、おじとの思い出を語る。

 綱挽と空手の二つの伝統文化が、同じ場所で交わって40年が過ぎた。今年も大勢の来場者たちの前で東西代表がガーエー演武を披露する。稔氏は「沖縄発祥の伝統武術。継続させていきたい」と引き続き綱挽の目玉の一つとして、ガーエー演武の継承と発展を願う。

 今年の那覇大綱挽まつりは10月7〜9日。8日は国際通りで旗頭行列をした後、国道58号久茂地交差点で綱挽が行われる。