1944年の10・10空襲以降、読谷村波平の住民たちが避難壕として使った。天井が低く狭いため、過密状態だった。米軍が沖縄本島に上陸した45年4月1日には、避難中の約140人のうち、ガマにやって来た米兵に竹やりで突っ込んだ高齢者2人が射殺されたほか、83人が「集団自決(強制集団死)」。