【連載・空手と私】上地哲さん(63)沖縄県よろず支援拠点のチーフコーディネーター

 県よろず支援拠点でチーフコーディネーターとして、企業の経営相談に応じる上地哲さん(63)。15歳から習い始めた空手歴は48年になる。現在教士八段。大学卒業後に経験した職業は自営業を含め十数社に上る。社会人として幾多の苦難を乗り切ることができたのも「空手で鍛えられた心の強さだ」と強調する。(政経部・久高愛)

上地流の型「セイサン」を稽古する上地哲さん=3月、うるま市(提供)

8月に東京で開催された第36回上地流空手道国際大会。フランス選手団と上地哲さん(右)=提供

仕事と空手について語る上地哲さん=4日、那覇市小禄・県よろず支援拠点

上地流の型「セイサン」を稽古する上地哲さん=3月、うるま市(提供) 8月に東京で開催された第36回上地流空手道国際大会。フランス選手団と上地哲さん(右)=提供 仕事と空手について語る上地哲さん=4日、那覇市小禄・県よろず支援拠点

 読谷村出身。幼少期、自宅の周辺は米軍基地や演習場に囲まれていた。自然豊かな生まれ故郷を、ウチナーンチュが思うように使えない状況に理不尽さを感じてきた。沖縄の歴史や文化を教えてくれた祖母の影響も大きく「ウチナーンチュとしてのアイデンティティーが強く、文化や自然を大切にしたいという思いは常に持っていた」と振り返る。

 高校に進学し、空手部に入部すると同時に、嘉手納町にある上地流の空手道場にも通い始めた。基本の鍛錬型「三戦(サンチン)」は、肉体同士のぶつかり合いで当初は満身創痍(そうい)の状態。それでも空手をやめなかったのは「心身の変化に気付いたから」。道場で体格差のある外国人と組み手をしても倒れなくなった。逃げずに相手に向かっていける心の強さも鍛え上げられた。「打たれ強い体をつくることが打たれ強い心をつくる」。空手から得た教訓だ。

 卒業後は24年間、東京暮らし。社会人として働く一方、30歳を過ぎたころには都内で自身の空手道場も構えた。当時は県産品販売の会社を立ち上げ、日々多忙な生活を送っていたが、週2日は道場に通い、稽古を続けた。

 空手で培った強い精神力は“商売人”としての経験でも生きた。会社の保証人として莫大(ばくだい)な借金を背負ったときも「何とかできる」と信じ、現実と向き合い続けた。現在は県よろず支援拠点で数多くの経営者と向き合う。借金など資金繰りに悩む経営者には諦(あきら)めずに前を向くことの大切さを説く。

 空手が世界中で普及した一方、発祥の地が沖縄であることが「あまり知られていない」と嘆く。「空手の聖地として海外にPRし、外国人空手家を誘客したい」と話す。道場巡りなど長期滞在傾向のある空手家による県内経済への波及効果は大きいと試算。「空手が沖縄観光のさらなる発展につながる」と期待を込めた。