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マイ・ロード~私が政治を志したワケ【衆院選・沖縄1区】

2017年10月17日 08:18

 22日投開票の衆院選は終盤戦に突入し、県内でも4選挙区で各候補者が熱戦を繰り広げている。9人の主要な立候補者に歩んできた道のりや政治家を志したきっかけなどを聞き、若い有権者へのメッセージをしたためてもらった。(連載マイ・ロード)

 

家族が再起を支えた 国場幸之助さん(44)

浪人時代を支えた家族に囲まれる30歳の国場さん=2003年11月、自宅

 決して平たんな道のりではなかった。政治を志したのは中学2年。「世のため、人のために生きなさいよ」。祖父の故国場幸太郎さんにかけられた一言が灯をともした。復帰っ子の1972年生。「社会的な期待を託された世代だと、ずっと感じてきた」と語る。

 ただ親からは口酸っぱく「どんな仕事をしても政治だけはするな」と言われてきた。胸に志を秘めたまま2浪し、1日10時間勉強する「もぐら状態」で政治家輩出の多い早稲田大に進んだ。卒業直前、ようやく周囲に打ち明けると案の定、反対の嵐。だが会社員を経て27歳の時、県議選で史上最年少トップ当選した。

「可能性を信じ自信を持って頑張れば何でもできる。そのための環境作りも政治の役割」と話す国場さん

 双子の娘にも恵まれ、輝かしいスタートを切ったはずだった。だが2003年の衆院選で落選し、無職に。04年、県議に返り咲くが、09年衆院選で再び苦杯をなめた。この選挙は事務所を設けてから解散が延びに延び、11カ月に及んだ。

 選挙費用で借金は膨らみ、精神的にも追い詰められた。落選翌日、家族のために政治の道を諦めかけた。悩んだまま小学校に娘を迎え、いじめられてないかと恐る恐る聞くと「お前の父ちゃん、まだ若いから大丈夫って言われた」。家族が再起を支えた。

 落選後、約3年の浪人を経て12年に衆院初当選。少人数の会合を重ね、質問が切れるまで1500人以上と向き合ってきた。中2で抱いた志は道半ば。「政治家になるのは手段。一人でも多くの声を国政に届け、県民を幸せにしたい」(社会部・篠原知恵)

本土との壁破りたい 赤嶺政賢さん(69)

八重山高校で国語を教えていた23歳の赤嶺さん=1971年9月、同校国語科職員室

 那覇市宇栄原の農家に生まれた。少年時代は父の畑仕事を手伝い、散乱する沖縄戦犠牲者の遺骨を畑の隅に積み上げた。学校の授業は米軍那覇飛行場(現那覇空港)の米軍機による爆音で、たびたび中断した。

 「沖縄の人は日本人ではなく、虫けらのように扱われていた」と語る。米軍占領下、基本的人権が無視される現実や相次ぐ米軍関係の事件事故に激しい怒りを抱いた。東京教育大学(現筑波大学)への国費留学に必要なパスポートに書かれていたのは「琉球住民」。本土と沖縄を隔てる北緯27度線の「壁」を痛感した。

「働く人たちの権利や生活が保障されないと、基地問題などを訴える力も出てこない」と訴える赤嶺さん

 政治との本格的な関わりは大学2年で日本共産党に入党してから。政治家を志す気はなく、沖縄の無条件全面返還に取り組んでいた共産党に怒りを託した。

 卒業後、八重山高校などで国語教師を務める傍ら、相次ぐ台風襲来や干ばつに苦しむ島民の実情を知る。「離島苦を解決したい」と教師を辞め、共産党八重山郡委員会の専従職員として問題を全国に発信した。

 市議を経て2000年の衆院選以降、比例代表区で5回復活当選。前回は「オール沖縄」の候補者として、共産党では全国唯一、小選挙区で勝利した。保革を超えて、名護市辺野古への新基地建設に反対する。

 他政策で足並みがそろわないとの批判もつきまとう。だが「声を上げ続ければ民意が広がる時が来る。絶対妥協しない」と貫く。

 「不可能と思われていた27度線の壁は破った。民意無視の政治は必ず倒れる」(社会部・浦崎直己)

クジラに込めた決意 下地幹郎さん(56)

阪神大震災の被災地で炊き出しボランティアをする33歳の下地さん(左)=1995年1月、神戸市

 マスコットの「オレンジクジラ」は「3人のユタに太鼓判を押されたラッキーカラー」に加え、ディズニー映画「ピノキオ」が由来という。ピノキオはクジラにのまれたおじいさんを腹の中から助け出すと、妖精によって念願の人間に生まれ変わった。「本気になれば変えられる。そんな決意を込めた」

 民間企業役員から政治の道に進んだ一つの契機は1995年の阪神大震災だ。発生直後に現地入りし炊き出しボランティアに。「家族や家を失い、温かいご飯も食べられない人たちに向き合う中で、政治が頑張らないと」と痛感した。翌年、自民党から35歳で衆院選に出馬し、初当選する。

「厳しい道でもチャレンジし続ける人は自らを高める勉強を怠らず、精神的強さを備えていく」と話す下地さん

 沖縄振興などの分野で存在感を放つ一方、米軍基地問題では普天間飛行場の嘉手納基地統合案を掲げ、党と対立した。2005年に離党後は無所属、地域政党そうぞうの立ち上げ、国民新党などを経て現在は日本維新の会所属。「政党は政治哲学を実現する手段。自分の考えを曲げてまで同じ党にとどまる気はない」と今回は希望の党と連携し、新勢力で国政進出を狙う。

 妻志緒さん(51)、長女風音ふうねさん(23)と家族一丸で挑む選挙も「サポートが当たり前とは思っていない」と感謝。落選し浪人した時も持ち前のバイタリティーを発揮し、オレンジの自転車で街頭に繰り出してきた。

 「冷房の効いた車内では分からない励ましや苦言に耳を傾ける。常に県民に身近な、県民の声を届けられる政治家でありたい」(社会部・新垣綾子)

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