興南・沖縄尚学で延べ40人の高校王者を育て、「ボクシング王国・沖縄」を築いた金城眞吉さんが16日、73歳で生涯を閉じた。昨年発覚した「ステージ4」の肺がんが全身に転移し、9月からの闘病生活で危篤を乗り越えること計3度。家族や教え子らが見守る中、最期は「一番の優等生だよ」と常々自慢していた具志堅用高さん(62)に抱かれながら逝った。選手を励まし続けた「自分に勝て」の言葉を、身をもって示した名伯楽の生きざま。残された人たちは胸に刻んだ。(社会部・磯野直)
■まな弟子の到着を待つように
「監督、監督、具志堅ですよ。聞こえる?」。金城さんの4度目の危篤の知らせを聞き、具志堅さんが東京から那覇市内の病院に駆け付けたのは16日午前1時前。頭を抱き、「一度でいいから目を開けてちょうだいよー」と呼び掛けているさなかに、金城さんは逝った。「監督、ありがとうございました」。目を真っ赤にして一礼する具志堅さんの声が病室に響いた。
興南・沖尚OBでつくる「眞和会」会長の羽地克博さん(53)は「最期は具志堅さんを待っていたんだな」とつぶやいた。「監督と出会えて本当によかった。教え子の名に恥じないよう、卒業生みんなでしっかり生きていく」と力を込めた。
沖尚OBでプロボクサーの翁長吾央選手(37)も師匠の死を見届けた。「何万回も言われた『自分に勝て』という言葉を体で示してくれた。具志堅さんの声を聞いて安心したんだと思う」
■居場所のない子を受け入れ
自宅にジムと合宿所を造り、居場所のないウーマクー(やんちゃ)だった子も多く受け入れ、ボクサーに育てたのは「2010年に亡くなった、奥さんの清子さんがいたからできた」と強調する。「監督夫妻は他人の子に、ものすごい愛情を注いでくれた。2人が真剣に向き合ってくるから、子どもだった僕らも真剣にならざるを得ない。2人にうそがないから、こっちもうそがつけない。すごい二人三脚でした」と語った。
南部農林高生だった金城さんにボクシングを教えた山内志津男さん(81)は「昔から負けん気がすごく、教えたことを貪欲に吸収していた。その後は選手を育ててボクシング王国を築き、十二分な人生だろう。あんな指導者は二度と現れない」とたたえた。
高校3年の時、一目ぼれした故清子さんにラブレターを書けなかった金城さん。代筆した同級生の大城幸盛さん(72)は「照れ屋の眞吉を助けるため、みんなで知恵を出し合って書いた」と振り返る。「お互い励まし合って生きてきた。眞吉は私たち同級生の誇り」と胸を張った。