沖縄空手

空手も三線も精進、生きる道学ぶ 体鍛えるきっかけは「父を守りたい」

2017年11月27日 20:41

【連載・空手と私】松田芳正さん(78)沖縄空手道小林流妙武館総本部館長

 道着に身を包んだ瞬間、にこやかな顔が一変した。那覇市辻で松田三味線店を営む松田芳正(よしまさ)さん(78)は、沖縄空手道小林流妙武館の総本部館長として、毎日の稽古を欠かさない。「三線を作っている時も、テレビを見ている時も筋肉を鍛えている。空手は私の生きがいだ」と力を込める。

ソー(棹)の部分を入念に確認する松田芳正さん=20日、那覇市辻の松田三味線店

型を披露する松田芳正さん=20日、那覇市辻の沖縄空手道小林流妙武館(渡辺奈々撮影)

ソー(棹)の部分を入念に確認する松田芳正さん=20日、那覇市辻の松田三味線店 型を披露する松田芳正さん=20日、那覇市辻の沖縄空手道小林流妙武館(渡辺奈々撮影)

 読谷村高志保で生まれた。サトウキビを絞る機械に挟まれ右腕を失った父・芳光さんを守りたい一心で、幼少の頃から体を鍛えた。

 「強くなるにはどうしたらよいか」。周りの大人に聞いて回り、思いついたことは何でも取り組んだ。50キロほどの大きな石を片手で持ち上げたり、木の枝で懸垂をしたり、自然を相手に一心不乱に取り組んだ。

 格闘技は手当たり次第挑戦した。小学校高学年のころには沖縄相撲で中学生を負かすようになり、腕相撲では体育教師にも勝ったという。

 中学2年で読谷中学校柔道部の第1期主将になり、村内の相撲大会で一般青年の部に出場。大人相手に優勝した。

 黒帯の空手家相手に実践訓練も行った。父を守るため強くなりたい思いを打ち明け、負けない闘い方を身に付けた。17歳になると、村宇座の新城平太郎氏に師事し、本格的に空手を始めた。講道館柔道6段の長岡安吉氏の道場にも入門し、空手と柔道の修行に打ち込む日々が続いた。

 「朝起きた時から稽古は始まっている。どんな時でも隙を見せるな」。新城氏の教えは厳しかった。夜中の真っ暗な海岸近くでハブの恐怖と戦いながら型に打ち込んだり、師匠を背中に乗せたまま腕立て伏せをさせられたり。気を抜く時はほとんどなかったという。

 32歳で浦添市牧港に空手道場を開設。宜野湾市嘉数の道場移転を経て、6年後には現在の那覇市辻に道場を構えた。当時、ソファやベッドの内張りを家業としていた父の仕事を手伝っていたが、曽祖父の代から古典音楽に親しむ家系だったこともあり、三線店を始めた。46歳で野村流音楽協会の教師免許を授与され、古典音楽の道も精進した。

 「偉くならなくていいから、立派な人になりなさい」。祖父から学んだ言葉を今もかみしめる。「空手と三線が人の生きる道を教えてくれた。伝統文化を学んでいる人で悪い人なんていないよ」と笑った。(政経部・下里潤)

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