【連載・空手と私】赤嶺嘉英さん(59)総合イベントプロデュース田英社元社長

 総合イベントプロデュースの田英(でんえい)社で代表取締役社長を務めていた赤嶺嘉英(よしひで)さん(59)は2年前に脳出血で倒れ、右半身がまひした。リハビリ代わりに空手を始めて1年5カ月。驚異的な回復を見せている。祖父は上地流開祖・上地完文の高弟、赤嶺嘉栄(かえい)氏(1908~77年)。自身はまだ4級で帯は緑色だが、「強く、優しくなりなさい」という祖父の金言の真意を、日々の稽古で探っている。(運動部・當山学)

島袋春吉館長(後方)から指導を受ける赤嶺嘉英さん=那覇市樋川の上地流那覇南修武館(中島一人撮影)

上地完英氏から赤嶺嘉栄氏に贈られた範士九段の証書を示す赤嶺嘉英さん=那覇市内の自宅

祖父・赤嶺嘉栄氏(後方)と小学生のころの嘉英さん(右)=提供

島袋春吉館長(後方)から指導を受ける赤嶺嘉英さん=那覇市樋川の上地流那覇南修武館(中島一人撮影) 上地完英氏から赤嶺嘉栄氏に贈られた範士九段の証書を示す赤嶺嘉英さん=那覇市内の自宅 祖父・赤嶺嘉栄氏(後方)と小学生のころの嘉英さん(右)=提供

 5歳で沖縄から神奈川県に移り、23歳で帰郷した後は多忙な毎日。女優の仲間由紀恵さんをスカウトし、ハンドボールの琉球コラソン発足時の代表を務め、世界のウチナーンチュ大会に携わるなど、仕事は多岐にわたる。「1日70本のたばことコーヒーがあればいい」という生活は体をむしばみ、血圧が200を超え、ついに脳出血で倒れた。

 右半身が動かず、舌も回らない。車いすや歩行器での生活を経て、何とか歩けるようになってから、祖父と同じ上地流の那覇南修武館に入門した。だが、病院の筋トレ中心のリハビリとは勝手が違った。島袋春吉館長を見ながら型を打っていると、右で突いたつもりが左だった。「分かっていても左が出てしまう。訳が分からなくなった」

 一つ一つの動きの意味を感じながら打つ型が、脳の活性化につながったのだろうか。まだ違和感は残るものの、12キロの減量にも成功しながら、他の門下生たちに交じって同じように型を打てるようになった。

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 祖父の嘉栄氏は175センチ、105キロの巨漢で、沖縄角力にも通じていた。戦後の混乱期に暴動を鎮め、パラオの小さな村では用心棒として山賊と戦うなど武勇伝は尽きない。大相撲の元横綱大鵬や、中央政界とも交流があった。

 嘉英さんは帰郷するたびに祖父の大きなおなかの上で「強くなりなさい。その分、優しくなりなさい。人をいじめないで助けてあげなさい」と言い聞かされた。「上地流は簡単に人を殺すことができるものだが、実際に使うのは本当に死が迫ったときだけ。空手は人の命を大事にし、強さを競わない究極の護身術。やればやるほど重みを感じる」と嘉英さん。「空手をかじるようになって、まだ味も分からないけど、もう少しやっていくうちに分かってくるのかな」

 神奈川で育ったため、指笛も三線もウチナーグチもできない。空手を学び「沖縄を表現する一つを身に付けることができて、本当にうれしいですね」と、沖縄人としてのアイデンティティーも刻んでいる。